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 プロ野球界ではW杯を尻目に、選手の契約更改が続々と行われている。

 野球解説者上原浩治氏のYouTubeチャンネル上原浩治の雑談魂〉に、元中日の山本昌氏が出演。巨人VS中日の熾烈な投手の最高年俸争いを回顧した。

 94年、山本昌氏は金田正一村山実平松政次江川卓などに並ぶセ・リーグ最長タイ記録となる2年連続、2度目の最多勝利タイトルを獲得。さらにリーグ最多の14完投で、沢村賞にも輝いた。

 当時、最多勝利争いで最大のライバルと目されていたのは、巨人・斎藤雅樹氏。斎藤氏は89年、90年と山本昌氏よりひと足先に2年連続最多勝を獲得している。沢村賞も89年に受賞し、山本昌氏に先んじた。94年は2ケタながらも14勝にとどまり、タイトルには絡まなかった。

「ボクね、32年間(契約更改で)保留にしたことないんですよ」

 と言う山本昌氏だが、94年だけは球団が「ちょっとサイン待とうか」と「逆保留」をもちかける。中日から最高年俸投手を出そうと、斎藤氏の契約更改を待つ提案だったのだ。

 ところが巨人も同様の考えで、斎藤氏との契約更改を行なわず、山本昌氏は年越しを待てずに1億7500万円でサインした。斎藤氏は年越しでの契約更改で、500万円上回る1億8000万円でのサインとなったのである。「ジャイアンツプライドだね」と、山本昌氏は笑うのだった。

 翻って22年の最高年俸投手は、楽天の田中将大で9億円。巨人・菅野智之ソフトバンク千賀滉大が6億円で続く。30年近くの歳月が流れ、年俸も随分と跳ね上がったものである。

(所ひで/ユーチューブライター

アサ芸プラス


(出典 news.nicovideo.jp)

」を取られることを拒否し、験を担いで1996年より登録名を山本昌(姓と名の区別がない表記)としていた。その後も引退まで登録名は変更されず、引退後の野球評論家活動も「山本昌」名義で行っている。 これについて山本本人は、96年のオープン戦にて登板する際に「ピッチャー、山本」とコールされた時に、「山本
139キロバイト (20,390 語) - 2022年11月30日 (水) 12:20


変な駆け引き

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