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「あの頃は、電気や水道が止まることなんて、しょっちゅうでしたよ」

 そうしみじみと語るのは宮城大弥投手(21)の父で、沖縄県在住の宮城亨さん(55)である。

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6畳1間で家族4人暮らし

 WBC大谷翔平ダルビッシュ有らに可愛がられ、「愛されキャラ」が定着した宮城。2年連続で2桁勝利を挙げ、オリックスリーグ優勝に貢献している宮城だが、少年時代の暮らしぶりは決して恵まれてはいなかった。

「自身も『貧しかったが野球をさせてくれた』とメディアに語っているほどです」(担当記者)

 父・亨さんが当時の生活を振り返る。

「大弥が育った宜野湾のアパートは6畳1間。そこに家族4人で暮らしていました。横になって寝るのも大変で、私か妻が座って寝ることもあったくらいです」

 家計が苦しい理由は、亨さんの障害にあったという。

「中学3年の時に事故で大けがをして、左腕が動かなくなってしまった。私は野球推薦で高校に進学が決まっていたんですけれど、それもなくなってしまいました。昔の沖縄では、障害があると定職に就くのは難しかった」(同前)

 生活はとにかく苦しかったという。

「暑い日には近くのスーパーの冷房で涼むこともありました。月末はメリケン粉を焼いて食べたり、具のないカレーを1週間食べたりしたこともよくあった。今では笑い話にできるけど、当時はつらかった」(同前)

つぎはぎだらけのユニフォームガムテープで巻いたスパイクで試合に出場

 そんな生活の中で、宮城は4歳頃から野球に興味を持った。

「大弥は沖縄空手の道場に連れて行っても隅っこに座っているだけでした。でも野球だけは自分から『やりたい』って言ってきたんです」(同前)

 食費も切り詰めるような宮城家では、野球用具も満足に揃えられなかった。

子ども用の革のグローブは1、2万もします。その金額は家族の1週間、2週間の生活費ですから……。数百円のビニール製グローブは、革よりも硬く使いづらそうだった。柔らかくしようと電子レンジで一度温めたら溶けてしまい、大弥を泣かせたこともありました。ユニフォームもつぎはぎだらけ。スパイクガムテープで巻いて、試合に出たこともあった」(同前)

 その逆境の中で、宮城の才能は開花。U-15日本代表に選出され、甲子園出場の常連興南高校に進学。学費や寮費、遠征の費用のために、亨さんは仕事を掛け持ちした。

子どもの進む道を支えるのは当たり前だから。そのころ大弥と話をしたことがあるんです。プロ野球選手になれたら、貧しい子たちが野球を続けていけるための活動をしようと」(同前)

 約束を果たすべく宮城はプロ入団時に契約金の一部を地元に寄付した。推定年俸8000万円となった昨年には、貧困家庭の子に野球用具などを支援する「宮城大弥基金」を発足させている。

「沖縄の3人を選んで、用具の支援を手探りで始めてます。18歳まで面倒を見るつもりです」(同前)

4社の芸能事務所から話があった“美少女妹”

 一方、宮城家では、もう1人のスターが生まれている。妹の弥生さん(17)だ。WBCの試合を家族と共に応援し「お兄ちゃん大好き」と話す姿がテレビで流れ話題をさらい、TBSなどの情報番組にも出演した。

 彼女は大阪のタレント養成のスクールに在籍。「モデルや女優志望です」と語り、瞬く間にSNSのフォロワーが1.4万人を超えた。

「弥生は昔から道を歩いていてもスカウトされるような子なんです。親から見ると華があるのかよくわかりませんが(笑)。4社の芸能事務所さんからお話があって、大変です。しかし本当に、2人とも本当によく貧しさを我慢してくれた。私だったらこんな家、逃げ出してたかもしれない。いろんなことが、いい方向につながってきたと今になって感じています」(同前)

 貧困を乗り越えて、兄妹は前途洋々なのである。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年4月20日号)

好きなマンガは「SLAM DUNK」


(出典 news.nicovideo.jp)

宮城 大弥(みやぎ ひろや、2001年8月25日 - )は、沖縄県宜野湾市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 4歳の頃より保育園に通いながら少年野球チームに入団して野球を始める。宜野湾市立嘉数中学校時代からポニーリーグのアジア太平洋地域選手権大会で準優勝、侍U15…
43キロバイト (5,391 語) - 2023年4月23日 (日) 10:25



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