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宮城大弥

ワールド・ベースボール・クラシックWBC日本代表にも選出されたオリックス・バファローズ所属の宮城大弥投手が、経済的な理由で野球を続けるのが困難な地元・沖縄の子供たちを支えるため、一般社団法人「宮城大弥基金」を設立し、4月から運用を始めた。


■子供たちに対し支援・援助

貧しい境遇で育った経験を踏まえ、父・宮城享さんと実現に向けて準備を進めてきた。対象者には原則小学校から高校卒業まで、用具代や遠征費など野球に必要な費用を援助する。

現役のプロ野球選手では、異例とも言える取り組みに注目が集まっている。

「プロ入り前から、当基金の理事である父と約束していました。将来を経済的な理由で断念しないようにサポートする団体を創ろうと。2022年にその夢が叶い、当基金の発足となりました。家庭環境や所得格差に起因する経済的な問題等が多様化する社会において、さまざまな困難な状況にある野球をしている子供たちに対し、支援・援助を行い、豊かな人間性を育て、心身共に優れた競技者かつ社会人を育成し、スポーツ文化の発展と青少年の健全な発達に寄与することを目的としています」。

同法人のホームページに記された宮城投手の言葉だ。


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■父親の想い

両親と妹の4人家族。享さんは中学の時に交通事故に遭って左手に障害が残り、定職に就くのがままならなかった。

仕事を掛け持ちするなど寝る間を惜しんで働いたが、家計は苦しかった。高校入学までの数年間は、家族4人が6畳一間のアパートで生活したこともある。

押し入れクローゼット代わりに使い、洗濯機冷蔵庫はベランダに置いた。4人が1度に横になれず、両親は交代で座って寝たというほどだ。

享さんは、「障害を持っていることが今ほど社会に受け入れられる時代じゃなかった。貧しいことで子供たちがいじめられたこともあり、その原因を作っているのが私なので余計につらかった」と振り返る。


■幼少期の経験

宮城投手は5歳の頃から小学生チームプレーするほど野球の才能に恵まれた。

だが、最初に買ってもらったグラブは革製ではなく、安いおもちゃのビニール製だった。それでも毎晩、大事に抱きかかえて寝る姿に「軟らかくして使いやすくしてやりたい」と聞きかじりの知識で電子レンジで温めてしまう。

残ったのは溶けて使えなくなったグラブ。「消えちゃった。魔法みたいだね」。涙をこらえながら気丈に話す息子の姿に心が痛んだ。

小学生の頃はつぎはぎだらけのユニホームを着て試合に出たり、所属チームの月謝の支払いを待ってもらったりもした。中学から始めた硬式野球も、小学5年の時に買ってもらった軟式用のグラブを使い続けた。

中学卒業後は沖縄・興南高校へ進み、20年にドラフト1位でオリックスに入団。21年に13勝して新人王に輝き、昨年も11勝、今季はすでに4勝をマークしている。


■決意を新たに

基金は年俸の一部や賛同する企業らの協力金などでつくる。「大弥が引退し、基金の活動を引き継いでくれるような人が出てくるまで私も頑張りたい」。

そう話す享さんの思いをくむように、宮城投手も「好きな野球をさせてもらっていたので、貧しい生活が恥ずかしい、つらいとは感じなかった。今度は自分が子供たちの夢をかなえる手助けができるようやっていきたい」と4年目のシーズンへ決意を新たにする。


■著者プロフィール

1970年島根県出身。幼い頃からスポーツや芸能の世界に興味を持ち、高校ではミスタータイガース掛布雅之氏にあこがれて甲子園を目指した。

大学卒業後は新聞社に就職。警察や行政などを担当した後、スポーツ記者として野球やゴルフテニスなどを中心に取材。

ワールド・ベースボール・クラシックWBC)の取材が転機となり、プロ野球の魅力を伝えたいと2010年フリーへ転身した。現在は大阪を拠点に、しばらく中断していた執筆活動を2022年末から再開している。

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(取材・文/Sirabee 編集部・前嶋光太郎

オリ・宮城大弥、プロ野球選手では“異例”の取り組み 「宮城大弥基金」4月から運用


(出典 news.nicovideo.jp)

宮城 大弥(みやぎ ひろや、2001年8月25日 - )は、沖縄県宜野湾市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 4歳の頃より保育園に通いながら少年野球チームに入団して野球を始める。宜野湾市立嘉数中学校時代からポニーリーグのアジア太平洋地域選手権大会で準優勝、侍U15…
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 WBCワールド・ベースボール・クラシック)の侍ジャパンメンバーとして活躍した、プロ野球オリックス宮城大弥投手(21)の妹・宮城弥生(17)が、20日放送のラジオニッポン放送ショウアップナイタースペシャル ラジオナントレース』(後5:50~7:30)に生出演することが決定した。

【写真】兄は…オリックス所属宮城大弥投手、WBCでの2ショットも

 同番組は、リスナープロ野球ファンから支持を得て、昨年10月からは『ラジオナントレースNEXT』としてレギュラー番組化。今シーズン開幕後もプロ野球ナイターゲームのない日に、レギュラー放送されている。

 同番組に、兄の宮城大弥投手を応援する姿が話題となり、このほど芸能活動をスタートさせた宮城弥生が“ラジオ初出演”することが決定。きょうだいだからこそ語れるエピソードはもちろん、どんな野球愛、オリックス愛を語るのか注目が集まる。

 宮城弥生は「初めて『ラジオナントレース』に出演させていただけるということで、緊張もしていますが、とてもワクワクしています。諸先輩方の胸をお借りして、兄とオリックスの応援ができるように頑張ります!」と意気込んでいる。

20日放送の『ニッポン放送ショウアップナイタースペシャル ラジオペナントレース』でラジオに初出演する宮城弥生


(出典 news.nicovideo.jp)

宮城 大弥(みやぎ ひろや、2001年8月25日 - )は、沖縄県宜野湾市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 4歳の頃より保育園に通いながら少年野球チームに入団して野球を始める。宜野湾市立嘉数中学校時代からポニーリーグのアジア太平洋地域選手権大会で準優勝、侍U15…
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進化を止めない山本。彼が起こすイノベーションは球界に大きなうねりをもたらしている(C)Getty Images

 今から5年前、オリックスエースとしてチームを率いてきた金子千尋がこんなことを言っていたのを思い出した。

「大貴さん、なかなか面白い子が投手陣にいます。確か…まだ高卒2年目ですが、調整法や投球のメカニズムがユニークです。自分の世界観を持っている。はまれば大成すると思いますよ」

【動画】驚愕の変化にバッターもお手上げ!「笑っちゃうぐらい凄い『山本由伸の驚愕カーブ』まとめ」


 金子千尋は怪我の影響もあり、二軍で調整を行う中で若手投手らを見た際に彼の印象に残ったのが当時の山本由伸だった。

 投手としての調整方法が独特であり、投球メカニズムがユニークであるというキーワードが非常に気になり、一軍だけでなく二軍施設にも取材に行かせてもらった。そこで山本由伸はというと、外野の芝の上でプラスティック製だろうか槍のようなものを使ってピッチングフォームの調整を行っていた。これまでアメリカンフットボールボールバドミントンラケットなどを投手練習に持ち込んでいるのは見たことがあったが槍投げの槍というのは私自身初めてで印象的だったことを覚えている。

「身体を横に使うというイメージはほとんどありません。前ですね。キャッチャーのミットに向かって自分の左足、左膝、左肩、左肘、左手の中指…これが全て投げる方向に一直線になることをイメージしています。ボールを持つ右腕も後ろにまっすぐ上げるイメージですかね。槍投げの投法をヒントにしました。あれだけの長さのあるものを遠くに強く投げられる原理を参考にしました

 当時、話を聞かせてもらった時が20歳から21歳になる頃。”身体を縦に使う、まっすぐ前に、身体を直線的に使う“。若き山本由伸は独特の理論と世界観を持っていた。

「前足はテコの原理だと思っています。前足が地面に着いた時、伸びているからこそ、その反動で身体が前に押し出される感覚です。キャッチャー方向への推進力がつきます。まさにテコの原理です」


 これまでの投球理論であれば投手の前足は突っ張らない、突っ張てはいけないが普通だった。山本由伸はその逆を取り入れていた。逆に前足が突っ張ることによって、テコの原理でより強いパワーが生み出されると考え、投球フォームに取り入れていた。柔和な表情の中にも投球フォームへの強いこだわりと投球フォームに関するメカニズムへのあくなき探求心を感じた。

 そして、手にした最多勝最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振沢村賞MVPの称号。あの取材から数年後には彼はオリックスの大エースとなり、日本を代表する投手として東京五輪金メダルWBC世界一に輝くこととなった。

 現在、新たに取り入れている「超クイック投法」。10代の時に生み出した、やり投げ投法からの進化系と言っていいだろう。ワインドアップの状態で前足の左足をほぼ上げることなく、そのままキャッチャー方向に踏み出す投球フォームは長い日本球界の歴史において誰もいなかったのではないだろうか。間違いなく日本を代表するピッチャーとなった投手ではいないと思われる。

 体重移動をよりスムーズに行い、そして投球方向への縦のラインイメージし、キャッチャーのミットへ目掛けより強い推進力を生み出す…これを考えた結果、辿り着いた超クイック投法。オリックス厚沢投手コーチも「山本が考えて、分析して、辿り着いた投法」と話す。山本由伸は「感覚的な部分を上手く合わせていきたい」という言葉を何度も口にする今季。身体の動きと頭の中でのイメージが完璧に一致した時、新たな山本由伸と強烈なインパクトを残す結果を見せてくれるに違いない。

 プロ野球界の若手投手だけでなく、アマチュア球界でも山本由伸投法を取り入れている選手が増えてきた。今までになかったものを生み出す、そしてトレンドにする…オリックス山本由伸がもたらすイノベーションにこれからも注目したい。


[文:田中大貴]


田中 大貴 (たなか・だいき)

1980年4月28日兵庫県小野市生まれ。小野高では2年から4番で打線の主軸を担った。巨人・高橋由伸監督にあこがれて慶應義塾大学へ。4年春に3本塁打タイトルを獲得。フジテレビ入社後は主に報道・情報番組とスポーツを担当。「とくダネ!」「すぽると!」ではバンクーバー五輪、第2回WBC北京五輪野球アジア予選、リオ五輪キャスターなど様々なスポーツイベントを現地からリポートした。

高卒当時から「自分の世界観」を持っていた山本由伸がもたらすイノベーション


(出典 news.nicovideo.jp)

名前の「由伸」については、「誕生年(1998年)に読売ジャイアンツ(巨人)へ入団した高橋由伸にちなんで、巨人ファンの実父が名付けた」と報じられたが、山本自身はその説を否定しており、実際には実母の名前から「」、実父の名前から「」の字を取る格好で、祖母が命名したという。しかし、山本と同年生まれの水上由伸
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WBCでは大谷に対しても積極的に関係性を深めた宮城(C)Getty Images

 昨季限りで現役を引退した元阪神オリックス能見篤史氏が4月18日までに更新された古田敦也氏が野球について様々なことをゲストと語り合うYouTubeチャンネル「フルタの方程式」に出演。

 昨年まで兼任コーチとして選手を指導した同氏がオリックス投手陣のすごさについて語った。

【関連記事】「知名度はないが才能あふれる選手」佐々木でも山本でもない メジャーから熱視線を浴びる「次に海を渡る選手の名前」


 多様な戦力揃いのオリックス投手陣の中でも、エースとしてチームの大黒柱となっているのが山本由伸投手だろう。

 今春行われたWBCでは侍ジャパンメンバーにも選出され、今や日本球界トップと言っても過言ではない存在だ。

 そんな山本だが、意外にも自身初の開幕投手を務めたのは2年前の2021年シーズン

 ちょうどこの年、オリックスへ兼任コーチとして移籍してきた能見氏は、大舞台を前に「由伸クラスでもガッチガチに緊張していましたね」と、エースの舞台裏の様子を明かす。

「ブルペンから力みまくっていて、ボールの質も悪かった。『これダメだなって』思いましたね」

 調子の悪さから試合前にアドバイスを送ろうとしたものの、それゆえさらに調子を崩してしまうことを懸念した能見氏は、口出しをしないことに。

 後日その旨を山本に伝えたところ「言ってくださいよ」と言われたというが、この点をふまえて山本のすごさについてこのように語る。

「彼は頭の中がスポンジみたいで、どんなことでも一度受け止めるんです。いやそれは違う、と跳ね返さないんですよね。これだけの成績を残しても謙虚な姿勢はずっと変わらない。野球に対しての真剣な取り組み度がすごいんだなと思いましたね」


 一方、山本と同じくWBC戦士として戦い、知名度も急上昇、人気も高まっている宮城大弥投手についても語った。

 宮城自身が尊敬する人物として名をあげ、現役時代から「師弟関係」として注目されることが多かった2人。

 身長171cmと小柄な体格ではあるものの、「ボールの勢いは半端なく強い」と、その球威を絶賛する能見氏。

 加えて、「柔軟性がすごくあるし、器用。得意のスライダーも曲がり幅が大きい。兼任コーチ時代試合前のブルペンで打席に入って球をチェックしていましたが、宮城だけは抜けそうで怖くて入れませんでした。それくらいボールの質が強かったですね」と、その実力を認める。

 さらに、能見氏が「本当にいいピッチャー」と語るのが、山崎福也投手だ。

 この山崎について、短期決戦時は打てないと口にするが、その理由をこのように話す。

「彼は本物のチェンジアップを投げるピッチャーなんです。だから、真っ直ぐにしか見えないし、初見では打てない。あとはクイックもできるしフィールディングも上手いんですよね」

 実際昨年ヤクルトとの日本シリーズでは第2戦、第6戦と2試合に先発し、通算9イニングを無失点と、得意のチェンジアップを武器にヤクルト打線を抑え込んだ。

 加えて、バッティングにも定評がある山崎に対し、「嬉しそうに打席に打席に入って行くんですよね」と、ピッチング以外の一面を語る場面も見られた。

 今季はリーグ3連覇、日本一連覇を目指すシーズンとなる。チームのストロンポイントである投手陣の活躍に引き続き、注目が集まりそうだ。


[文/構成:ココカラネクスト編集部]


「試合前のブルペンに入れなかった」能見篤史氏が語るオリックス投手陣のすごさとは


(出典 news.nicovideo.jp)

能見 篤史(のうみ あつし、1979年5月28日 - )は、兵庫県出石郡出石町(現:豊岡市)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ、野球解説者、野球評論家。 2005年から2020年まで投手として阪神タイガースへ在籍した後に、2021年から投手コーチ兼任でオリックス・バファローズへ移籍。2022年限りで現役を引退した。…
90キロバイト (12,983 語) - 2023年4月28日 (金) 00:01



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「あの頃は、電気や水道が止まることなんて、しょっちゅうでしたよ」

 そうしみじみと語るのは宮城大弥投手(21)の父で、沖縄県在住の宮城亨さん(55)である。

◆ ◆ ◆

6畳1間で家族4人暮らし

 WBC大谷翔平ダルビッシュ有らに可愛がられ、「愛されキャラ」が定着した宮城。2年連続で2桁勝利を挙げ、オリックスリーグ優勝に貢献している宮城だが、少年時代の暮らしぶりは決して恵まれてはいなかった。

「自身も『貧しかったが野球をさせてくれた』とメディアに語っているほどです」(担当記者)

 父・亨さんが当時の生活を振り返る。

「大弥が育った宜野湾のアパートは6畳1間。そこに家族4人で暮らしていました。横になって寝るのも大変で、私か妻が座って寝ることもあったくらいです」

 家計が苦しい理由は、亨さんの障害にあったという。

「中学3年の時に事故で大けがをして、左腕が動かなくなってしまった。私は野球推薦で高校に進学が決まっていたんですけれど、それもなくなってしまいました。昔の沖縄では、障害があると定職に就くのは難しかった」(同前)

 生活はとにかく苦しかったという。

「暑い日には近くのスーパーの冷房で涼むこともありました。月末はメリケン粉を焼いて食べたり、具のないカレーを1週間食べたりしたこともよくあった。今では笑い話にできるけど、当時はつらかった」(同前)

つぎはぎだらけのユニフォームガムテープで巻いたスパイクで試合に出場

 そんな生活の中で、宮城は4歳頃から野球に興味を持った。

「大弥は沖縄空手の道場に連れて行っても隅っこに座っているだけでした。でも野球だけは自分から『やりたい』って言ってきたんです」(同前)

 食費も切り詰めるような宮城家では、野球用具も満足に揃えられなかった。

子ども用の革のグローブは1、2万もします。その金額は家族の1週間、2週間の生活費ですから……。数百円のビニール製グローブは、革よりも硬く使いづらそうだった。柔らかくしようと電子レンジで一度温めたら溶けてしまい、大弥を泣かせたこともありました。ユニフォームもつぎはぎだらけ。スパイクガムテープで巻いて、試合に出たこともあった」(同前)

 その逆境の中で、宮城の才能は開花。U-15日本代表に選出され、甲子園出場の常連興南高校に進学。学費や寮費、遠征の費用のために、亨さんは仕事を掛け持ちした。

子どもの進む道を支えるのは当たり前だから。そのころ大弥と話をしたことがあるんです。プロ野球選手になれたら、貧しい子たちが野球を続けていけるための活動をしようと」(同前)

 約束を果たすべく宮城はプロ入団時に契約金の一部を地元に寄付した。推定年俸8000万円となった昨年には、貧困家庭の子に野球用具などを支援する「宮城大弥基金」を発足させている。

「沖縄の3人を選んで、用具の支援を手探りで始めてます。18歳まで面倒を見るつもりです」(同前)

4社の芸能事務所から話があった“美少女妹”

 一方、宮城家では、もう1人のスターが生まれている。妹の弥生さん(17)だ。WBCの試合を家族と共に応援し「お兄ちゃん大好き」と話す姿がテレビで流れ話題をさらい、TBSなどの情報番組にも出演した。

 彼女は大阪のタレント養成のスクールに在籍。「モデルや女優志望です」と語り、瞬く間にSNSのフォロワーが1.4万人を超えた。

「弥生は昔から道を歩いていてもスカウトされるような子なんです。親から見ると華があるのかよくわかりませんが(笑)。4社の芸能事務所さんからお話があって、大変です。しかし本当に、2人とも本当によく貧しさを我慢してくれた。私だったらこんな家、逃げ出してたかもしれない。いろんなことが、いい方向につながってきたと今になって感じています」(同前)

 貧困を乗り越えて、兄妹は前途洋々なのである。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年4月20日号)

好きなマンガは「SLAM DUNK」


(出典 news.nicovideo.jp)

宮城 大弥(みやぎ ひろや、2001年8月25日 - )は、沖縄県宜野湾市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 4歳の頃より保育園に通いながら少年野球チームに入団して野球を始める。宜野湾市立嘉数中学校時代からポニーリーグのアジア太平洋地域選手権大会で準優勝、侍U15…
43キロバイト (5,391 語) - 2023年4月23日 (日) 10:25



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