※本稿は、中村哲也『体罰と日本野球』(岩波書店)の一部を再編集したものです。
■いつから野球部員は丸刈りが当たり前になったのか
「丸刈り」が野球部員を象徴する髪型となるのも戦後のことであった。
江戸後期には、庶民も髷を結うことが一般的であったが、1874年に初めて日本にバリカンが輸入され、その後国産化されると、子どもの髪型は「丸刈り、一分刈りのような短い髪にバリカン刈りすることが普通」になっていった(1)。「頭髪は丸刈りとなすべし」と校則で明文化していた中学校もあったが、戦前期に校則で「髪型を指定するところは少数」だったようだ(2)。
戦前期の中等学校では、男子生徒の髪型として丸刈りが一般的だったこともあって、野球部員の髪型もほとんどが丸刈りであった。
1901年の愛媛師範、1924年の高松商、春3回(1926)の個人賞受賞選手、1930年の第一神港商など、戦前期の中等学校の野球部員はほとんど全員が丸刈りか、それに近い短髪であった。野球部員の丸刈りは戦後も続き、1950年代以降も大会時に撮影された高校野球部員の頭髪を見ると、ほとんど全員が丸刈りであった。
■丸刈りは不自然と言う風潮
しかし戦後、中高生の髪型は、次第に長髪化していった。1950年代に若者のあいだで流行したのは、石原慎太郎が火付け役となった「慎太郎カット」であった。1960年代に入ると「髪一本の乱れもみせないピカピカのリーゼントやオールバック・スタイル」や、「自然のままに、ソフトに仕上げるアイビーカットが流行」した。
液体整髪料やドライヤーが発売され、誰もが日常的に髪型をセットすることも可能となった(3)。若者のあいだで「自然な」髪型が一般化するなかで、中学生・高校生の中には丸刈りを拒否したり、丸刈りを規定した校則を嫌がったりする生徒も現れ、60年代末の高校紛争では丸刈り校則の廃止が一つの焦点となった。
学校側は、「非行防止」「規律の徹底」「勉強に集中させる」などを根拠に丸刈り校則の維持を主張したが、1960年代には高校生にとって「耐えがたいもの」となり、多くの高校で丸刈り校則が廃止されていった(4)。
丸刈り校則を嫌がった中学生が他の自治体に越境入学し、アニメ「サザエさん」のカツオくんの髪型が「不自然」かどうか新聞の読者欄で論争も起こった(5)。
戦前期にはバリカンで丸刈りにすることが一般的であったが、戦後、中高生の髪型が次第に「自然な」髪型や長髪化していくなかで、中高生が丸刈りにすることを嫌がったり、丸刈りを「不自然」とする感性も広がったりしていったのである。
■なぜか戦前より丸刈りが増えている不思議
こうしたなかでも、野球部員は丸刈りであり続けたのはなぜだろうか。1934年(画像2)と1954年(画像3)の明大野球部員の髪型がわかる写真を見てみよう。
髪型に着目して2枚を比較すると、1934年の部員は全体として短髪ではあるが、ほとんどの部員が丸刈りではなかった。写真が古くて鮮明ではないため、確証がもてないところもあるが、写っている部員22名の中で明らかに丸刈りの部員は2名(前列右端、後列右から四人目)しかいない。
一方、1954年の写真では、写っている部員15名全員が丸刈りになっている。
■「坊主にならないものは野球部に入れません」
当時、明大野球部の監督を務めていた島岡吉郎は、野球部員の丸刈りについて次のように語っている。
成績が悪いときなど一部OBから敗残兵みたいだからやめさせろという投書がたくさん来る。〔中略〕明大新聞の人から選手に坊主頭を強制するなんてとんでもない。軍国主義の現れだよなんていわれましたよ。〔中略〕
選手の親御さん方からは、きちんとした生活をしていてよろしい、〔中略〕と感謝されている。坊主頭だったら悪いこともできないし、変な所へも出入りできんでしょう。〔中略〕
坊主頭でカッコ悪いと思う選手もいるでしょう。だが私にいわせれば髪をのばそうなんてよけいなことを考えることすら間違いだと思うんです。(6)
島岡は、丸刈りを倹約、時間短縮、「学生らしい」と評価する一方で、1970年代には「敗残兵みたい」「軍国主義的」といった批判的な意見があったことがわかる。丸刈りについては賛否両論があったが、前述したように、島岡は明大野球部内で絶大な権力をもっていたため、丸刈りが入部の条件となっていたのである。
■むしろ歓迎されていた
そして、100名以上もの入部希望者がひしめく明大野球部に入部し、厳しいレギュラー争いに勝ち抜こうとする部員にとっては、丸刈りにするかどうかは重要な問題ではなかったと思われる。
そのような部員にとって、髪型を理由に入部を諦めるものが存在することは、それだけレギュラーを争うライバルが減るという意味で、歓迎すべきものでもあったのではないだろうか。
さらに1950年代以降、早大・法大・立大野球部でも部員の丸刈りが採用された。
東京六大学で野球部員の丸刈りが主流になっていったことで、これらの大学野球部出身の指導者が高校・中学の野球部員にも丸刈りにすることを求めたり、野球部員=丸刈りのイメージが定着・拡大し、丸刈りではない生徒は野球部の入部を認めなかったりするような慣習が拡大していったのかもしれない。
■「小さなサディズム行為」
野球部をはじめとした日本の運動部では、しごき、給水禁止、丸刈りなど、非科学的な指導や不合理な慣習が強制されるようになったのは、なぜだろうか。
アメリカ人文化人類学者デヴィッド・グレーバーは、会社の上司がおしゃべり禁止などのルールを定めたり、小さな作業ミスを指摘したりする「小さなサディズム行為」は、純粋に恣意(しい)的な権力関係であることを突きつける手段であり、その行為が無意味であるからこそ「だれがボスなのかを監督者が思い知らせるための屈辱の儀式」として「この儀式が部下を部下たる地位に置く」と指摘している(7)。
グレーバーの指摘は、しごきや給水禁止、丸刈りの強制といった野球部内の慣習にも当てはまる。
こうしたルールの強制は、それを通じて多すぎる部員を削減できるだけでなく、そうした権力行使を日常的に繰り返すことで部員たちに「だれがボスなのか」を理解させるものだったのである。
それ自身としては無意味な規則、合理的根拠のない指示であっても、むしろ、それが無意味であり、不合理であるからこそ、規則や指示が監督や上級生から発せられ、部員や下級生がそれを守ることを通じて、部内の上下関係が作られ、維持されていったのである。
しごきや給水禁止、丸刈りの強制などの慣習は、そのような隠れた目的をもち、その効果が実感されていったからこそ、様々な亜種を生みながら、全国に広がっていったのだと思われる。
注
(1) 相賀徹夫編『日本大百科全書5』1985年,小学館,713頁,および「バリカン」『日本大百科事典』ジャパンナレッジ.
(2) 大津尚志『校則を考える―歴史・現状・国際比較』2021年,晃洋書房,15頁.
(3) 前田和男『男はなぜ化粧をしたがるのか』集英社,2009年,134-137頁.
(4) 小林哲夫『高校紛争1969-1970「闘争」の歴史と証言』中央公論新社,2012年,97-98 頁.
(5) 「丸刈りに断固抵抗 都下・大和二中の7生徒」『朝日新聞』1968年5月9日付朝刊.小須田実「カツオくん,なぜ長髪にしないの」『朝日新聞』1970年1月6日付朝刊,および「特集カツオ君の坊主頭」同紙1970年1月18日付朝刊.
(6) 島岡吉郎「ゆっくり話そう 坊主礼賛論」『朝日新聞』1970年3月1日付朝刊.
(7)グレーバー,D.,酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店,2020年.,164-165頁.
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高知大学 地域協働学部准教授
1978 年大阪府生まれ。 京都府立大学文学部卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。早稲田大学スポーツ科学学術院助手を経て、現在。専門は日本スポーツ史。著書に『学生野球憲章とはなにか 自治から見る日本野球史』(青弓社、2010 年)、共訳書にアーロンL. ミラー『日本の体罰 学校とスポーツの人類学』(共和国、2021 年)。
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(出典 news.nicovideo.jp)
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