高校野球

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なぜ日本では「野球部員=丸刈り」になったのか。高知大学の中村哲也准教授は「戦後大人気だった六大学野球で、野球部員の丸刈りが主流になったことが大きい。そこから野球部員は丸刈りというイメージが定着していった」という――。

※本稿は、中村哲也『体罰と日本野球』(岩波書店)の一部を再編集したものです。

■いつから野球部員は丸刈りが当たり前になったのか

丸刈り」が野球部員を象徴する髪型となるのも戦後のことであった。

江戸後期には、庶民も髷を結うことが一般的であったが、1874年に初めて日本にバリカンが輸入され、その後国産化されると、子どもの髪型は「丸刈り、一分刈りのような短い髪にバリカン刈りすることが普通」になっていった(1)。「頭髪は丸刈りとなすべし」と校則で明文化していた中学校もあったが、戦前期に校則で「髪型を指定するところは少数」だったようだ(2)

戦前期の中等学校では、男子生徒の髪型として丸刈りが一般的だったこともあって、野球部員の髪型もほとんどが丸刈りであった。

1901年の愛媛師範、1924年の高松商、春3回(1926)の個人賞受賞選手、1930年の第一神港商など、戦前期の中等学校の野球部員はほとんど全員が丸刈りか、それに近い短髪であった。野球部員の丸刈りは戦後も続き、1950年代以降も大会時に撮影された高校野球部員の頭髪を見ると、ほとんど全員が丸刈りであった。

■丸刈りは不自然と言う風潮

しかし戦後、中高生の髪型は、次第に長髪化していった。1950年代に若者のあいだで流行したのは、石原慎太郎が火付け役となった「慎太郎カット」であった。1960年代に入ると「髪一本の乱れもみせないピカピカのリーゼントオールバックスタイル」や、「自然のままに、ソフトに仕上げるアイビーカットが流行」した。

液体整髪料やドライヤーが発売され、誰もが日常的に髪型をセットすることも可能となった(3)。若者のあいだで「自然な」髪型が一般化するなかで、中学生高校生の中には丸刈りを拒否したり、丸刈りを規定した校則を嫌がったりする生徒も現れ、60年代末の高校紛争では丸刈り校則の廃止が一つの焦点となった。

学校側は、「非行防止」「規律の徹底」「勉強に集中させる」などを根拠に丸刈り校則の維持を主張したが、1960年代には高校生にとって「耐えがたいもの」となり、多くの高校で丸刈り校則が廃止されていった(4)

丸刈り校則を嫌がった中学生が他の自治体に越境入学し、アニメサザエさん」のカツオくんの髪型が「不自然」かどうか新聞の読者欄で論争も起こった(5)

戦前期にはバリカン丸刈りにすることが一般的であったが、戦後、中高生の髪型が次第に「自然な」髪型や長髪化していくなかで、中高生が丸刈りにすることを嫌がったり、丸刈りを「不自然」とする感性も広がったりしていったのである。

■なぜか戦前より丸刈りが増えている不思議

こうしたなかでも、野球部員は丸刈りであり続けたのはなぜだろうか。1934年(画像2)と1954年(画像3)の明大野球部員の髪型がわかる写真を見てみよう。

髪型に着目して2枚を比較すると、1934年の部員は全体として短髪ではあるが、ほとんどの部員が丸刈りではなかった。写真が古くて鮮明ではないため、確証がもてないところもあるが、写っている部員22名の中で明らか丸刈りの部員は2名(前列右端、後列右から四人目)しかいない。

一方、1954年の写真では、写っている部員15名全員が丸刈りになっている。

■「坊主にならないものは野球部に入れません」

当時、明大野球部の監督を務めていた島岡吉郎は、野球部員の丸刈りについて次のように語っている。

坊主頭にならないものは〔明大野球〕部に入れません。だいたい汗をかく競技なんだし坊主頭は衛生的ですよ。ポマードもクシもいらない。それだけ倹約になるから親孝行だ。髪を整える時間も助かるし合宿に鏡などそろえる必要もない。見ていてもすがすがしく学生らしい。現在六大学では東大、慶大さん以外は坊主ですよ。〔中略〕
成績が悪いときなど一部OBから敗残兵みたいだからやめさせろという投書がたくさん来る。〔中略〕明大新聞の人から選手に坊主頭を強制するなんてとんでもない。軍国主義の現れだよなんていわれましたよ。〔中略〕
選手の親御さん方からは、きちんとした生活をしていてよろしい、〔中略〕と感謝されている。坊主頭だったら悪いこともできないし、変な所へも出入りできんでしょう。〔中略〕
坊主頭でカッコ悪いと思う選手もいるでしょう。だが私にいわせれば髪をのばそうなんてよけいなことを考えることすら間違いだと思うんです。(6)

島岡は、丸刈りを倹約、時間短縮、「学生らしい」と評価する一方で、1970年代には「敗残兵みたい」「軍国主義的」といった批判的な意見があったことがわかる。丸刈りについては賛否両論があったが、前述したように、島岡は明大野球部内で絶大な権力をもっていたため、丸刈りが入部の条件となっていたのである。

■むしろ歓迎されていた

そして、100名以上もの入部希望者がひしめく明大野球部に入部し、厳しいレギュラー争いに勝ち抜こうとする部員にとっては、丸刈りにするかどうかは重要な問題ではなかったと思われる。

そのような部員にとって、髪型を理由に入部を諦めるものが存在することは、それだけレギュラーを争うライバルが減るという意味で、歓迎すべきものでもあったのではないだろうか。

さらに1950年代以降、早大・法大・立大野球部でも部員の丸刈りが採用された。

東京六大学で野球部員の丸刈りが主流になっていったことで、これらの大学野球部出身の指導者が高校・中学の野球部員にも丸刈りにすることを求めたり、野球部員=丸刈りイメージが定着・拡大し、丸刈りではない生徒は野球部の入部を認めなかったりするような慣習が拡大していったのかもしれない。

■「小さなサディズム行為」

野球部をはじめとした日本の運動部では、しごき、給水禁止、丸刈りなど、非科学的な指導や不合理な慣習が強制されるようになったのは、なぜだろうか。

アメリカ人文化人類学者デヴィッドグレーバーは、会社の上司がおしゃべり禁止などのルールを定めたり、小さな作業ミスを指摘したりする「小さなサディズム行為」は、純粋に恣意(しい)的な権力関係であることを突きつける手段であり、その行為が無意味であるからこそ「だれがボスなのかを監督者が思い知らせるための屈辱の儀式」として「この儀式が部下を部下たる地位に置く」と指摘している(7)

グレーバーの指摘は、しごきや給水禁止、丸刈りの強制といった野球部内の慣習にも当てはまる。

こうしたルールの強制は、それを通じて多すぎる部員を削減できるだけでなく、そうした権力行使を日常的に繰り返すことで部員たちに「だれがボスなのか」を理解させるものだったのである。

それ自身としては無意味な規則、合理的根拠のない指示であっても、むしろ、それが無意味であり、不合理であるからこそ、規則や指示が監督や上級生から発せられ、部員や下級生がそれを守ることを通じて、部内の上下関係が作られ、維持されていったのである。

しごきや給水禁止、丸刈りの強制などの慣習は、そのような隠れた目的をもち、その効果が実感されていったからこそ、様々な亜種を生みながら、全国に広がっていったのだと思われる。


(1) 相賀徹夫編『日本大百科全書5』1985年小学館,713頁,および「バリカン」『日本大百科事典』ジャパンナレッジ.
(2) 大津尚志『校則を考える―歴史・現状・国際比較』2021年,晃洋書房,15頁.
(3) 前田和男『男はなぜ化粧をしたがるのか』集英社2009年134-137頁.
(4) 小林哲夫『高校紛争1969-1970「闘争」の歴史と証言』中央公論新社2012年,97-98 頁.
(5) 「丸刈りに断固抵抗 都下・大和二中の7生徒」『朝日新聞1968年5月9日付朝刊.小須田実「カツオくん,なぜ長髪にしないの」『朝日新聞1970年1月6日付朝刊,および「特集カツオ君の坊主頭」同紙1970年1月18日付朝刊.
(6) 島岡吉郎「ゆっくり話そう 坊主礼賛論」『朝日新聞1970年3月1日付朝刊.
(7)グレーバー,D.,酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店2020年.,164-165頁.

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中村 哲也(なかむら・てつや)
高知大学 地域協働学部准教授
1978 年大阪府生まれ。 京都府立大学文学部卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。早稲田大学スポーツ科学学術院助手を経て、現在。専門は日本スポーツ史。著書に『学生野球憲章とはなにか 自治から見る日本野球史』(青弓社、2010 年)、共訳書にアーロンL. ミラー日本の体罰 学校とスポーツの人類学』(共和国、2021 年)。

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愛媛県師範学校野球部の部員たち(1901年)


(出典 news.nicovideo.jp)


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 10月26日ドラフト会議をどこで迎えるのか。私の選択肢大阪桐蔭高校(大阪府大東市)一択だった。

 世代ナンバーワン左腕の前田悠伍は、全国屈指の名門で1年秋から事実上のエースとなり、2年春の選抜で全国制覇を達成。2年夏、3年春と3度の甲子園を経験した。最後の夏は大阪大会決勝で履正社に敗れはしたものの、9月のU−18野球W杯にて高校日本代表エースとして世界一の立役者となった。

 2年にわたって追いかけ、大阪桐蔭史上最強の投手と信じて疑わなかった18歳の運命が決まる瞬間を見過ごすわけにはいかない。西谷浩一監督は言う。

中学生の時に初めて前田を見た時も、高校に入学してきた前田のピッチングを見た時も、『必ずドラフト1位で指名されるような選手にしないといけない』という気持ちでした。ピッチングのセンス、牽制、フィールディング、間合い……本来なら高校3年間で教えないといけない部分を、入ってきた時にほぼ持っていた。前田自身も『プロ野球に行くために大阪桐蔭に来た』という強い気持ちが1日もぶれることはなかった。1年生の頃からフル回転でやってくれた。立派な3年間でした」

 必ずドラフト1位で——こんな言葉を西谷監督から聞いたのは初めてのような気がしたが、本人は笑って否定した。

「いえ、そんなことはありません。中田(翔)の時もずっとそう思っていました(笑)。もちろん周囲に言ったことはないし、本人にも伝えていませんが」

「自分の表情ひとつで、いろいろなことを言われたりもしますから」

 迎えた今年のドラフト会議では豊作の大学生投手3人と社会人外野手の度会隆輝(ENEOS)の4人に1位指名が集中し、前田は1回目の抽選に外れた3球団——北海道日本ハム東北楽天、そして福岡ソフトバンクの競合となった。外れ1位が競合になった高校生思い出すのは、清宮幸太郎を外した3球団が村上宗隆に集中した17年のドラフトだ。

 外れ1位は前田にとっては悔しい現実かもしれないが、その悔しさを糧とした村上のような飛躍を期待したい。モニターに映ったドラフト会議の様子を無表情で眺め、3球団の競合の末、福岡ソフトバンクが交渉権を得ても無表情を貫いた。前田は言う。

「もちろん、気持ちとしてはホッとしていましたけど、自分の感情を表に出してしまったら、指名を待つ選手やクジに外れた球団に申し訳ない。自分の表情ひとつで、いろいろなことを言われたりもしますから。自分にとって長い間、プロで活躍できる選手が良い選手だと思う。それと、いつかもう一度日の丸を背負って戦いたい」

2013年森友哉の後、トップ選手は生まれていない

 大阪桐蔭としては昨年の松尾汐恩(DeNA)に続くドラ1指名で、前田は44人目の大阪桐蔭出身プロ野球選手となる。

 2000年代中村剛也埼玉西武)や平田良介(元中日)、中田翔(巨人)、浅村栄斗東北楽天)らが高校からの直接プロ入りで次々と活躍する頃、大阪桐蔭出身の選手は「プロ野球でも即戦力」と言われていた。全国から精鋭が集まって寮生活を送り、野球漬けの毎日を送ることでプロでの土台を築く。それが大阪桐蔭で野球に励むということだった。

 しかしここ数年、大阪桐蔭高校野球界での「一強ぶり」とは裏腹に、プロでの活躍は鳴りを潜めている。2013年ドラフト1位、2014年卒の森友哉(現オリックス)を最後に、日本を代表するような選手は大阪桐蔭からは生まれていない。

 ここに森以降のドラフトで指名された大阪桐蔭の卒業生を列記する。()内は高校を卒業した年および入団後の動向だ。

14年ドラフト
千葉ロッテ5位 香月一也(15年卒。20年に巨人にトレード。今オフ戦力外に)


15年ドラフト
DeNA6位 青柳昴樹(16年卒。19年に現役引退)


16年ドラフト 
北海道日本ハム5位 高山優希(17年卒。22年オフに退団)
オリックス8位 澤田圭佑(13年卒。立教大を経て入団、22年オフに戦力外となり、23年からは千葉ロッテ


17年ドラフト 
オリックス8位 山足達也(12年卒。立命館大、Honda鈴鹿を経て入団)
東北楽天育成3位 中村和希(14年卒。天理大を経て入団)


18年ドラフト 
中日1位 根尾昂(19年卒)
千葉ロッテ1位藤原恭大(19年卒)
北海道日本ハム5位 柿木蓮(19年卒)
巨人4位 横川凱(19年卒)
広島6位 正隨優弥(15年卒。亜細亜大を経て入団。22年オフに現役ドラフトで楽天移籍。今オフ戦力外に)


19年ドラフト 
千葉ロッテ5位 福田光輝(16年卒。法政大を経て入団。23年3月にトレードで北海道日本ハムに移籍)
オリックス育成3位 中田惟斗(20年卒)


20年ドラフト 
埼玉西武7位 仲三河優太(21年卒、今オフ戦力外に)


21年ドラフト 
DeNA2位 徳山壮磨(18年卒。早稲田大学を経て入団)
オリックス5位 池田陵真(22年卒)
北海道日本ハム7位 松浦慶斗(22年卒)


22年ドラフト 
DeNA1位 松尾汐恩(23年卒)

23年ドラフト
ソフトバンク1位 前田悠伍(24年卒予定)

 1年たりとも途切れることなくプロに選手を送り込みながら、所属球団でエース格に成長したり、主軸として活躍している選手はひとりもいない。

 既に青柳が現役を引退し、日本ハムを退団した高山は独立リーグNPB復帰を目指して奮闘中。そして今オフには香月や正隨、仲三河が戦力外通告を受けている。

 春夏連覇を達成し、ふたりの高卒1位を生んだ根尾世代でも、藤原は打棒が振るわず、野手として期待されていた根尾も立浪和義監督の意向で投手専任となり、今季は2試合に先発しただけでいまだ白星をあげられていない。また、早稲田大学を経て2位でDeNA入りした徳山も、2シーズンを過ごして一軍登板機会はゼロだ。

 光明がないわけではない。入団から2度の育成落ちを経験しながらその度に支配下に返り咲いて今季は16試合に先発した巨人の横川や、日本シリーズの第1戦でスタメン出場したオリックスの池田は成長著しいものがある。それでも中田や森の実績や知名度には遠く及ばない。

「プロで活躍するためにあえて大阪桐蔭を選ばない」選手も

 一方、目立っているのが大学に進学したOBたちだ。東京六大学はもちろん、戦国東都の青山学院大学中央大東洋大、國學院大などもスタメンにOBが名を連ねている。今年のドラフトで巨人に指名されたNTT西日本の泉口友汰(18年卒)も、大学時代は青山学院でプレーした選手だ。

 今年卒業したOBの進路を見ても、慶應義塾大、立教大、青山学院大、中央大駒澤大、國學院大、日本体育大、関西大、同志社大など名門ばかり。昨年のドラフトで指名漏れした選手たちも、川原嗣貴がHonda鈴鹿、海老根優大はSUBARU社会人に進んで野球を続けている。

 こうした状況に、プロを目指す有望中学生の進路選択にも小さくない影響・異変が起き始めている。関西で活動する中学生の強豪硬式野球チームの指導者がこんなことを話していた。

「高校からプロ入りすることを現実的に夢見ている中学生は、当然、大阪桐蔭OBのプロでの実績を注視している。成功した選手が少ないことで、プロで活躍するためにあえて大阪桐蔭を選ばないという選手も増えてきている」

 確かに、今春のボーイリーグ全国大会で初めて日本一となった東海中央ボーイズに所属する選手5人に西谷監督が声をかけたところ、全員に断られたというエピソードは、この春先、高校野球関係者の間で大きな話題となっていて、筆者も記事にした。

 前出の中学生年代の指導者が続ける。

甲子園に出場することが目的ならば、今でも大阪桐蔭ベストな選択でしょう。そして、たとえベンチ入りできない2年半を過ごしたとしても有名大学への進学がほぼ保証されている。プロを目指すというよりも、大学・社会人と野球を続けたい選手にとって魅力的な高校になっている」

 大阪桐蔭の西谷監督自身も、教え子がプロで大成することよりもすべての球児が夢に見る甲子園に出場し、勝つことがまずは大事だと公言している。

 昨秋のドラフト会議大阪桐蔭の3年生や卒業生に指名漏れが相次いだ際、「OBがプロであまり活躍できていないことの影響は感じますか」と訊ねると、西谷監督はこう答えた。

「プロにも(高卒、大卒、社会人からなど)いろいろな入り方がある。確かに森以降、レギュラーにはなれていないかもしれないですけど、いずれにせよこれからです。僕らの目標は甲子園で勝つことであって、プロ野球選手を育てることが目的ではない。プロを目指している子の結果(進路)がプロならばいいというだけです」

「(佐々木朗希は)大阪桐蔭に入るには値しない選手だった」

 そういえば、この夏、大船渡高校時代の佐々木朗希千葉ロッテ)を育てた國保陽平氏(現在は大船渡高校を離れ、盛岡一高野球部の副部長)が面白い話をしていた。

「朗希は、早熟の選手とは対極に位置する晩成型の選手でした。高校入学後も190cmの肉体は成長段階にあり、骨密度などを計測してもまだまだ骨格ができあがっていなかった。中学時代も投げられない時期が長く、140キロを計測したとはいえ、それは3年秋の段階だった。中学までの競争選抜でははじかれてしまう素材であり、たとえば大阪桐蔭に入るには値しない選手だった」

 大阪桐蔭高校の野球部は1学年約20人の少数精鋭体制で、中3時点で日本代表に選ばれるような目立った選手しかその席を手にすることはできない。だからこそ、プロで活躍する選手が少なくとも、大阪桐蔭自体が弱体化している印象はない。

 一方で、「早熟で完成されている」ことは「のびしろがない」という評価と紙一重でもある。

 前田も、不甲斐ないピッチングが続いた今春の選抜ではそんな評価も飛び交った。

 しかしプロで活躍するために、常に成長し続けなければならないことは前田自身が誰よりもわかっている。

高校野球でいくら活躍していても、プロに入ったら難しいというのは承知しています。とにかくできることの最大限といいますか、常に『やりきる』というぐらいの気持ちで臨まないと通用しないと思う。ようやくスタートラインに立てて、ここから(ギアを)二段階ぐらいあげていきたい」

 大阪桐蔭のOBはプロで大成しない——そんな近年の風説を、前田が打破することをつい期待してしまう。

(柳川 悠二)

大阪桐蔭高校からドラフト1位でソフトバンク入りすることになる前田悠伍 筆者撮影


(出典 news.nicovideo.jp)


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プロ志望届を出さずにアメリカ留学を決断した花巻東の佐々木。高校通算140本塁打の左の強打者は、すでに現地でも注目を集めているという
プロ志望届を出さずにアメリカ留学を決断した花巻東の佐々木。高校通算140本塁打の左の強打者は、すでに現地でも注目を集めているという

10月26日に開かれたプロ野球ドラフト会議。その予想で、各球団の1位候補に挙がっていたのは軒並み大学生の投手だった。そんな中、本来なら高校生野手の目玉格になりえた〝怪童〟はプロ志望届すら提出しなかった。佐々木麟太郎(花巻東)である。

【写真】ホワイトソックスからドラフト指名された西田陸浮ほか

積み上げた高校通算本塁打数は前代未聞の140本。身長184㎝、体重113㎏の巨漢スラッガーは入学時から高校球界に話題を振りまき続けた。

父・佐々木 洋は花巻東の監督であり、菊池雄星トロント・ブルージェイズ)や大谷翔平ロサンゼルス・エンゼルス)の恩師でもある。中学時代の恩師・大谷 徹は大谷翔平の父親。そんな背景までドラマチックに彩られていた。

佐々木がプロ志望届を提出していれば、複数球団がドラフト1位指名する可能性もあった。それでも、プロ志望届の提出期限まで残り2日に迫った10月10日佐々木は「アメリカの大学に行くことを考えている」と表明した。

父である佐々木監督は「教養をつけながら次のステージを目指してもいいのではないか」とコメント。野球だけにこだわらず、アメリカ留学を通して人間としての幅を広げる狙いを口にした。佐々木は9月に渡米し、約10日間にわたって複数の大学施設を見学したという。

花巻東の監督で父の佐々木 洋(左)は、息子の人間としての成長と選手としての成長の両方を見据え、留学を後押しするコメントを残している
花巻東の監督で父の佐々木 洋(左)は、息子の人間としての成長と選手としての成長の両方を見据え、留学を後押しするコメントを残している

思い出される光景がある。5月下旬に佐々木インタビュー取材のため、花巻東のグラウンドを訪れたときのことだ。佐々木の打撃練習を見ていると、私は佐々木監督からこう尋ねられた。

「真鍋くんのほうがずっと上でしょう?」

私がその前月に、U-18日本代表候補合宿で真鍋 慧(広陵)を取材したことを知っての問いかけだった。真鍋は佐々木と同じように高校球界屈指の左打ちスラッガーであり、早くからプロのスカウトも注目していた好素材である。

佐々木監督から問われた私は、「インパクトの爆発力は麟太郎くんのほうが上だと思います」と答えた。もちろん、佐々木監督に忖度(そんたく)したわけではなく、本心からの言葉だった。

佐々木の打撃は打球音からして違う。スタジアムに爆発音がとどろいたかと思えば、打球は一瞬にして外野スタンド上空へと舞い上がっている。高校球界の歴史に残るパワーだろう。

その一方で、佐々木監督の言葉には多少の謙遜が含まれているにしても、わが子のポテンシャルに全面的な自信があるわけではないことがうかがえた。

佐々木本人の自己評価も低かった。「佐々木麟太郎は、佐々木麟太郎をどう評価していますか?」と尋ねると、佐々木はこう答えている。

「全然大したことないと思っています。自分よりうまい人は全国にいますから」

こうした自己評価の低さとアメリカ留学という決断は、無縁ではないはずだ。

NPBに進めば、佐々木は間違いなく注目を浴びるだろう。そして、絶えず大谷のような花巻東の偉大な先輩と比較され続けるに違いない。現時点での能力で論じられることは、佐々木親子にとって耐え難い苦痛が伴う。

これまでも、佐々木は多くの批判にさらされてきた。「公式戦での本塁打が少ない」「故障が多すぎる」「一塁しか守れない」「太りすぎ」など。並の神経であれば潰れても不思議ではなかった。

だが、大事なポイントは、佐々木の肉体は発展途上にあるということだ。佐々木の肉体について、佐々木監督はこう語っていた。

「まだ骨端線が残っていて、骨が成長しているものですから。大谷もそうでしたけど、20歳くらいになって骨の成長が止まらないと、出力の大きさと体のバランスが合わないのかなと考えています」

つまり、あれだけ大きな体であっても、佐々木の身体内部はまだ〝子供〟ということだ。骨の成長を無視して負荷をかければ、取り返しのつかない大ケガにつながるリスクもある。であれば、学業と並行して野球を続けるのも合理的な選択といえる。

また、二刀流の価値を野球界に知らしめた大谷のように、「誰もやったことのないことを成し遂げたい」というパイオニア精神も花巻東のDNAなのかもしれない。佐々木本人も「型にはまるのは好きじゃない」と語っていた。

日本トップクラスの高校球児がアメリカの大学に進んだ例はない。佐々木の選択は、その開拓者になりたいという意欲がにじんでいる。

以上が、佐々木アメリカ留学を促した要因と推察できる。現時点で留学先は未定とされているが、一部報道によると名門のバンダービルト大が候補に挙がっているようだ。

ホワイトソックスからドラフト指名された西田陸浮(右)も、東北高校を卒業後にアメリカに留学してチャンスをつかんだ
ホワイトソックスからドラフト指名された西田陸浮(右)も、東北高校を卒業後にアメリカに留学してチャンスをつかんだ

日本人アメリカの大学に留学する際、大きな障壁になるのは語学力である。今年7月のMLBドラフトシカゴ・ホワイトソックスから11巡目で指名された米オレゴン大の西田陸浮ら、選手のスポーツ留学を支援する「アスリートブランド」代表の根本真吾さんは言う。

「今は英語塾と提携し、陸上やサッカーでNCAA(全米大学体育協会)のディビジョン1(最高クラスリーグ)に行く選手を毎年輩出しています。野球は遅れていましたが、ようやくトップクラスが行き始めた印象です」

野球の本場アメリカであっても、日本の高校球児の評価は高いという。根本さんはU-18W杯のアメリカ代表コーチから、こんな言葉をかけられたそうだ。

「日本のピッチャーをみんなアメリカに連れて帰りたい」

アメリカの大学では学業成績が伴わないと出場が禁じられるケースがあるなど、文武両道のハードルは高い。だが、根本さんは「英語の勉強はまあまあ苦労しますが、NCAAディビジョン1レベルであれば文武両道できる仕組みがあるので、いろんな経験が積めるはずです」と語る。

佐々木麟太郎はこれからどんな人間へと成長していくのか。道なき道を行く野球人生が始まっている。

取材・文/菊地高弘 写真/アフロ

プロ志望届を出さずにアメリカ留学を決断した花巻東の佐々木。高校通算140本塁打の左の強打者は、すでに現地でも注目を集めているという


(出典 news.nicovideo.jp)

?(2022年8月30日配信) - CBCスポーツ公式チャンネル - YouTube ^ “高校通算117発の花巻東・佐々木麟太郎、日本一懸ける妹・秋羽の応援に 女子センバツ決勝”. 日刊スポーツ (2023年4月2日). 2023年4月2日閲覧。 ^…
13キロバイト (1,401 語) - 2023年9月12日 (火) 19:04



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今年のドラフト指名は122人
名門校から無名校までさまざま

 10月26日、今年もプロ野球ドラフト会議が開催された。

 今年指名されたのは本指名72人、育成指名50人の合わせて122人で、本指名が3人増加した一方、育成指名には楽天が参加せず7人減少。その出身高校は多彩で、大阪桐蔭高や中京大中京高のように誰でも知っている名門校から、大分舞鶴高や湘南学院高、取手松陽高、滝川西高、寿都高(北海道)のようにプロ入りすれば開校以来初という学校までさまざま。

 このうち、大分舞鶴高(常広羽也斗、広島1巡目)と湘南学院高(古謝樹、楽天1巡目)は開校以来初のプロ入り選手がドラフト1巡目指名となった。

 一方、寿都高(滝田一希、広島3巡目)は高校野球ファンでも聞いたことがないような高校だ。なにしろ、甲子園出場はおろか公式戦に部員をそろえて参加するのも一苦労という学校で、今秋の小樽地区予選にも小樽未来創造高、倶知安農との3校連合チームで出場して5回コールドで敗れている。プロ入りすれば、もちろん開校以来初のプロ選手の誕生だ。

 本稿ではドラフト指名という枠を取り払って、1936年プロ野球誕生以来、最も多くの選手をプロ球界に送り込んだ学校を見てみたい。

 早速、第5位の学校から順に確認しよう。

近年「猛烈な勢いでプロ入り選手を増やしている」のは?

最も多くの選手を輩出した
「栄光の5校」とは

 最初にお断りしておきたいのが、日本のプロ野球界には公式戦に出場した全選手の名簿はあるが、在籍した全選手の名簿は存在しないため、ここで集計されているのは筆者が独自に調査したものである。

 また、名門・古豪といわれる歴史の古い学校には、途中で分離や合併などさまざまな変遷のある学校も多く、どの学校をもってどの学校の前身とするかの意見が分かれることもある。そのため、見解によって多少の誤差が生じることをご了解いただきたい。なお、学校名・人名の表記は新字体に統一している。

第5位 龍谷大平安高(京都府) 62人+今年1人指名

 戦前には平安中、昭和には平安高として活躍した同校は、龍谷大平安高と改称してからも2014年選抜では優勝するなど、戦前から現在まで一定の人数をプロに輩出し続けている。今年は中島大輔が楽天から6巡目指名を受けた。古くは衣笠祥雄(広島)、現役では高橋奎二ヤクルト)らがOB。炭谷銀仁朗は楽天から戦力外通告を受けた。

第4位 広陵高(広島県) 68人+今年3人指名

 第4位は広陵高。同校もやはり戦前からの名門だが、プロ入りに関しては平成以降の方が勢いがある。有原航平ソフトバンク)など、21世紀以降だけで7人がドラフト1巡目で指名されるなど、中井哲之監督の育成力には定評がある。OBは広島が多く、現役では野村祐輔(広島)、上原健太日本ハム)などだ。

 今年のドラフトでは上位指名が有力といわれていた真鍋慧が指名されなかったが、それでも高太一(広島2巡目)、石原勇輝(ヤクルト3巡目)、谷口朝陽(西武育成2巡目)と3人が指名を受けるなど、近年猛烈な勢いでプロ入り選手を増やしている。

第3位 横浜高(神奈川県) 74人+今年4人指名

 横浜高は戦後に野球部を創部しており、当然プロ入りしたのもすべて戦後。しかも74人のほとんどは渡辺元智元監督が育てた選手で、渡辺監督はおそらく日本で最も多くのプロ野球選手を育てた監督であろう。愛甲猛ロッテ他)、松坂大輔(西武他)など、高校野球史に名を残す選手も多い。

 渡辺監督辞任後は監督や部長の交代が続き動向が注目されていたが、その後も甲子園に出場してその地位を守っている。また昨年はドラフト指名がなかったものの、今年はDeNA1巡目の度会隆輝をはじめ、津田啓史(中日2巡目)、杉山遥希(西武3巡目)、土生翔太(中日5巡目)と本指名だけで4人が指名され、さらに上位をうかがっている。

第2位 PL学園高(大阪府) 82人

 第2位は、1980年代から90年代にかけて黄金時代を築いたPL学園高。PL学園高の創立は1955年で、野球部創部はその翌年。最後の年である2016年までの61年間に82人という人数は、一つの代から平均1.3人がプロ入りしているという極めて高い率だ。実際、1980年代頃には一つの学年から数人がプロ入りするのも珍しくなかった。

 しかも、ただ人数が多いだけではなく、清原和博(西武他)・桑田真澄(巨人)をはじめ、木戸克彦(阪神)、小早川毅彦(広島他)、立浪和義(中日)など多くの名選手をプロに供給してきたことで知られる。現役では前田健太大リーグツインズで活躍中。

 平成期にプロ入り人数トップとなって以来1位を続けていたが、昨年ついにトップから陥落した。というのも、2013年秋に専任監督が不在となり、2016年夏の府大会出場を最後に休部してしまったからだ。プロ入りしたのも、2018年ドラフト東洋大中川圭太選手がオリックスに指名されたのが最後で、来年以降のドラフト候補にも同校のOBは見当たらない。

 野球部復活の動きもあるようだが、3位横浜高、4位広陵高の猛追もあり、2位の座も危うそうだ。

中京大中京高は、優勝数もプロ選手数もトップ

春夏合わせた優勝数がダントツ!
プロ選手数もトップの中京大中京高

第1位 中京大中京高(愛知県) 85人+今年1人指名

 第1位は昨年4人がプロ入りしてトップに返り咲いた中京大中京高で、順調にその人数を増やしている。

 戦前から戦後にかけては中京商、昭和後半は中京高、平成以降は中京大中京高と校名は変化しつつも、常に高校球界のトップに近い位置に存在し続けている。

 甲子園での春夏合わせた優勝11回や、通算136勝などは断然の1位で、プロ入り人数でもしばらくトップを走っていたが、平成以降のプロ入りはあまり多くなく、トップの座をPL学園高に譲り渡してしまっていた。しかし、一昨年一挙に4人も指名されてPL学園高をかわして再びトップに立ち、昨年も2人が指名された。

さらに今年も、国立の静岡大から佐藤啓介が広島の育成2巡目で指名され、1位の座は安泰。現役では鵜飼航丞(中日)、伊藤康祐(中日)、沢井廉(ヤクルト)らがOBにあたる。

 こうした多くのプロ選手を送り込んでいる学校がある一方、平成の強豪智弁和歌山高(16人)や、昭和末の強豪池田高(7人+今年1人指名)は、甲子園での活躍度に比べるとプロ入り選手が少ない。智弁和歌山高は基本的に有名進学校でもあるという事情もあるが、プロ入りするほどの能力の高い選手が少ないにもかかわらず甲子園で実績を残しているわけで、それはとりもなおさず、監督の力量の高さを示しているともいえる。

 今年のドラフトの目玉ともいわれた花巻東高の佐々木麟太郎選手は、プロ志望届を提出せずに米国の大学に進む予定。近年はこうした海外大学への進学も増えてきており、今年のドラフト会議でも複数の海外大学在籍選手の指名がうわさされていた(結局指名されなかった)。

 現在までに1人でもOBをプロに送り込んだことがある高校は全国に1700校以上。今年は昨年よりも多い17校から開校以来初のプロ選手が出る見込み。すでに、野球部のある高校のうち半分近くはOBにプロ入りした選手が出ており、野球部ができてまだ年数が浅い高校でなければ、母校OBにプロ選手がいる可能性は意外と高い。



(出典 news.nicovideo.jp)


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