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【橋下徹氏、慶応優勝を称賛も「この時間帯の決勝戦はあかんやろ」】の続きを読む
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8月23日に行われた、全国高校野球選手権大会の決勝。波紋を広げている慶応の応援に、仙台育英のOBが苦言を呈した。
慶応にとっては107年ぶりの優勝をかけた戦いとなったこの試合。慶応(神奈川)は連覇を目指す仙台育英(宮城)を8対2で下し、見事優勝を手にした。甲子園球場は慶応側による熱烈な応援に包まれた一方で、”応援マナーが悪い”との指摘も相次いだ。
問題になったのは、今大会の応援に関する注意事項で禁止されている守備中の歓声。また、アルプススタンド以外の場所で立っての応援や肩を組んで横揺れする行為についても“邪魔だった”との指摘が相次いだ。実際に、6回の後には「立ち上がっての応援は、他のお客様ご迷惑となることもありますので、ご注意ください」「応援は後方のお客様のご迷惑にならないよう、十分ご配慮ください」との注意喚起がアナウンスされていた。
そんななか、仙台育英高校野球部のOB、田中一也氏のX(旧Twitter)投稿が注目を集めている。田中氏は’08年に仙台育英高校に入学、投手として活躍し夏の甲子園にも出場した名選手だ。
田中氏は24日0時過ぎに自身のXを更新。過去の“タオル回し騒動”を例に、決勝戦での応援の在り方について苦言を呈した。
《てかタオル回し禁止になった理由わかる? 球場全体がタオル回しをして 『球場全体が敵に見えた』 ん?今日の慶應義塾戦はどうだった? 明らかに仙台育英は球場全体がアウェイで敵に見えたんじゃないかな? アルプスの応援団はいいと思う。けど、その他の指定席に座ってる方々の 観戦のモラルというところも今後見直した方がいいんじゃないか?》
‘16年の夏の甲子園で起こったタオル回し騒動。八戸学院光星(青森)対東邦(愛知)戦で9回裏に東邦の応援席でタオル回しがおこった。すると、球場全体にタオル回しが伝播。結果東邦が逆転勝ちを果たしたのだった。その試合後、光星の桜井一樹投手は「全員が敵に見えた」と心情を吐露。翌年からは、《守備側の選手に緊張感、威圧感を与えることがあります》と各校の応援団にはタオル回しの自粛が伝えられるようになった。
田中氏はこの投稿に寄せられたユーザーからの声への返答で、《でも私は声援のボリュームがうるさいとはいってないですよ。肩を組んで横に揺れて選手の視界が全体的に敵に見えるんではないかと言うことです。タオル振りと同じようなことだと思いますね》ともコメントしている。
また、田中氏は、応援のやり方については苦言を呈したものの《でもあれだけ人数集めるのも凄いけどな》と慶応側の応援量には感嘆。そのうえで、《けど、タオル回しの禁止理由から見てみると、今回のも観戦方法を見直して欲しいよね》と観戦ルールの見直しを求めていた。
この投稿に対しては、Xユーザーから“大事な議論”と共感の声が上がる一方で、“負け惜しみに聞こえる”など否定的な声も寄せられていた。それもあってか、田中氏は24日午前1時51分に再度Xを更新。投稿に込めた想いをこうつづった。
《まずみなさん誤解してほしくないのは、仙台育英と慶應義塾は普段から交流があります。そして応援していたチームです。同級生にも友達がいたりしたす。むしろ好きなチームです。まったくチームを批判をしていませんし、今後の高校野球のために発信しただけです》
高校野球を良くしようとする田中氏の思いは、多くの人に届いたようだ。24日19時37分現在で1.8万件のいいねがついている。
TBS井上貴博アナウンサーが8月24日、情報番組「ひるおび!」にゲストとして出演。全国高校野球選手権大会の決勝についてコメントした。
現地で応援していたという井上アナは、決勝で敗れた仙台育英の実力を称えながらも、母校・慶応高校の優勝に大喜び。「慶応のプリンス」と呼ばれる丸田湊斗選手にはついて「心理戦をやっている。相手にわざとデータを取らせてそこで甘く入ってきた球を打つ」などと評論家顔負けの口ぶりだった。
井上アナは慶応幼稚舎から内部進学し、高校時代には硬式野球部に在籍していたという生粋の「慶応ボーイ」。しかし今回、あまりにも慶応びいきが過ぎたようで、ネット上では批判の声が殺到したのだ。
「自身の後輩が快進撃を続け、107年ぶりの優勝を果たし気持が高ぶるのは理解できますが、アナウンサーの姿勢としていかがなものか。ましてや同じ局内とはいえ、他番組にまで出演しペラペラと持論をまくし立てる姿に、視聴者からは《こんな人とは思わなかった》という声も上がっています。そもそも『慶応ボーイ』自体が世間の嫉妬を買いやすい。今回はあまりにも浮かれすぎて自ら墓穴を掘ってしまったといっていいでしょう」
井上アナも自身が舞い上がっているのは自覚しているようで「アナウンサー失格です。公私混同で、公平性を欠いています」と反省の弁を述べていたが、世間がみんな慶応ファンではないことも理解しておくべきだったのではないか。
2022年にオリコンが発表した「好きな男性アナウンサーランキング」では「8位」にランクインしているイケメンの井上アナ。今年の順位が下落しないことを祈りたい。
(ケン高田)
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この前の当コラムで、7月27日に行われた高校野球神奈川県選手権大会の決勝、慶応対横浜で、球審が足をつったために途中交代したことを紹介したが、この試合は「審判のジャッジ」でそれ以上の注目を集めた試合でもあった。
この試合の9回表、3対5で負けている慶応の最後の攻撃で、無死一塁で丸田選手の打球は一二塁間のゴロに。横浜の二塁手はこれを捕ると遊撃手に送球、遊撃手は二塁に触塁して一塁に送球。一塁はセーフとされたが、少なくとも二塁はアウトで1死一塁かと思われた。だが、二塁塁審は二塁走者もセーフを宣した。無死一、二塁となった直後に慶応の渡辺選手が逆転3ランホームランを放ち、慶応の劇的な勝利となったのだが……。
試合後、横浜の村田浩明監督は、「ちょっと信じられない。完全にこっちから見ても余裕のアウト。本当は僕が審判さんのところに行ってプロ野球のように言えればいいんですけど。高校野球なので選手を行かせましたけど、『離れた』の一点張りだったので。納得いかない部分もあったし、本当はずっと抗議したい気持ちもあった」と記者団に語った。
ここからネット上では「慶応は審判の『誤審』で甲子園を勝ち取った」かのような言葉が飛び交った。
基本的な問題として、野球の試合では「ストライク、ボール」と「アウト、セーフ」の判定は審判のジャッジで決まる。たとえアウトに見えたとしても審判が「セーフ」と言えばそれが絶対にして最終だ。誤審は存在しない。
このプレーの動画を何度も見たが、横浜の遊撃手は送球を受けて、二塁ベースの縁をスパイクで擦るようにしてから一塁に送球している。スパイクで蹴り上げられ二塁周辺の土が飛び散っている。
筆者の見るところ、昔の感覚なら確かにアウトだっただろう。
昭和の時代、一塁走者は併殺を阻止するため、ベースではなく野手に目掛けて滑り込んだり、腕を上げたりして送球を妨害していた。内野手はこうした走者のアタックを避けつつ送球するために、ベースに触れるか触れないかで送球していた。
審判は、タイミング的にアウトであれば、実際に塁に触れたか触れなかったかは重視せずにアウトを宣した。いわゆる阿吽の呼吸だ。アメリカではこれをネイバーフッドプレーと言う。ベースのネイバーフッド(ご近所)を野手のスパイクが通過したら触塁したことにするということだ。
しかし日米ともにコリジョンルールが導入され、本塁突入の際に走者がアウトを阻止するために捕手めがけて走り込んだり、捕手が走者の走路をふさぐことが禁じられるとともに、二塁でのプレーでもラフプレーは戒められ、触塁について、より厳密に判定するようになった。
さらにNPBやMLBでビデオ判定が導入されると、従来タイミング的にアウトとされていた判定の中にも、ビデオで見ればセーフだった事例があることがわかり、プロだけでなくアマの審判もより厳密、厳格にジャッジするようになった。
慶応対横浜戦の件の判定も、タイミング的にはアウトだったのだろうが、最新の知見を得ていた審判は、より厳密に確認してセーフの判定をした可能性がある。
元審判の中には「最近の審判は、見た目だけでなく『音』にも留意している。あの判定では、野手がスパイクで塁に触れた際に出る微細な音が確認できなかったから、セーフにしたのではないか」と言う人もいた。
ともあれ、あのプレーは「明らかな誤審」と断じるような単純なものではなかったのは間違いのないところだ。
野球だけでなくスポーツでは、審判は「マスターオブゲーム」であり、試合においてはすべての権限を有している。それを否定して試合は成り立たない。
それを前提にすれば、横浜高校の村田浩明監督の発言は、適切だったとは言いがたい。村田監督は同時に「審判をリスペクトしている」と言ったが、試合直後に、当事者たるチームの監督が、審判の最終判定に対して表明した強い疑念は、その言葉とは裏腹のものだった。
後追いの報道では、村田監督は試合後、審判団に2時間も食い下がったとのことだ。これが選手のお手本と言える態度だろうか?
審判の判定への抗議は認められている。この試合でも控え選手が審判にジャッジについて問いただしている。さらに、審判の資質に疑念があるのなら、各県高野連に公式に異議申し立てをすることも可能だ。場合によっては審判の適格性が審議されることもあるだろう。
しかし、当事者が、目の前のプレーで、自チームに不利な判定をされたからといって執拗(しつよう)に抗議することがまかり通れば、試合は成り立たない。
元パシフィック・リーグ審判員で、審判技術委員、日本野球規則委員会委員を歴任した山崎夏生氏はこう語る。
「まずあの二塁での判定を『誤審』だという前提の下に論議されていることに非常に違和感があります。触塁があったか否かは微妙で、NPBのようにリプレイ検証をしても触塁を確認できる絶対的映像が見つかりませんから、判定は覆らないでしょう。何を根拠に『余裕でアウトだった』と決めつけるのか、敗れた監督の言葉にはグッドルーザーとしての潔さも誇りも全く感じられませんでした」
「プレーは選手のものですが、判定は審判のもの。その触塁をきちんと見せられなかったなら、厳しい言い方ですが雑なプレーです。それを高度なプレーだと主張するならば判定のリスクも伴うものだという覚悟が必要です。
また第三者がたった一つの判定で人生が変わる、などと言うのはあまりにも大袈裟。運も不運も平等で、それを恨めばその後も愚痴と泣き言ばかりが続き、笑い飛ばせば運も向くはず。大谷選手はファウルをホームランと判定され甲子園を逃したらしいが、それがどうした? と言いたくなる。
ただ、こういったSNSでの誹謗中傷やスポーツの本質を理解しない人があまりにも多くなり過ぎたがために、アマチュア野球界でもリプレイ検証は必要になってきたのかなとは思います。それはあくまでもこんな『事件』から審判を守るために、です」(山崎夏生氏)
筆者は、常々日本球界は「審判へのリスペクト」が少ないと痛感する。今回の例だけでなく、プロ、アマ問わずプレーがもつれると「審判に問題がある」かのように言われることがしばしばある。その根底にあるのは、「審判のステータスの低さ」だ。
日本プロ野球は、草創期から元プロ選手が数多く審判に転身してきた。古くは二出川延明、苅田久徳のように野球殿堂入りした大野球人も審判になったが、戦後はプロで実績のない選手が審判に転向することが多くなった。
そういう審判が判定する試合では、監督やコーチが露骨な抗議をすることが多かった。「現役時代は大した実績なかったくせに、偉そうな顔をしやがって」という審判を見下げた感情が根底にあるのだ。試合後も「あの審判はダメだ、なってない」とあからさまに言う監督もいた。
そうしたプロ野球の態度が、アマ球界にも影響を与え「審判軽視」の風潮ができたのではないか。
アマチュア球界の審判は、甲子園という大舞台であっても全員が「ボランティア」だ。わずかな謝礼と移動費だけで球審、塁審を務めている。防具など審判用具は自前だ。それでも審判は高度な審判技術を維持するために勉強会を開いたり、日々練習をするなど研鑽を積んでいる。
審判の仕事は「間違えずにジャッジをして当たり前」であり、疑念が残れば今回のように非難される。アマチュア審判であっても、個人が特定されればプロ野球の審判のように誹謗中傷にさらされるリスクも生じる。まさに「労多くして功少なし」だ。
日本では野球競技人口の減少が問題になっているが、審判員もなり手が減少している。若手が少なく、高齢化も進行している。大学、高校、社会人などを掛け持ちする審判も多い。
そうした状況で「疑念が残る判定」で審判を非難する風潮が広まれば、ますます審判の成り手は減ってしまうだろう。
地方の県高野連審判部に所属して活動しているある審判員が実情を吐露する。
「批判については、審判である以上受け入れていかなくてはならないでしょう。それはわれわれ審判の宿命だとは思います。
審判が批判されるのは、日本全体が『審判=絶対に間違えてはならない』という文化になっていることも背景にあるかと思います。時代の流れの中で、高校野球の審判『委員』に国民や関係者が何を求めるかを検討していく時がきていると思います。
われわれは些少の審判代で活動しており、交通費や道具代も自己負担、休みの日は家を空けて試合に行きます。審判のなり手も限られているので、平日も頼まれて仕事を休む人も多いです。中には、審判活動が中心になってしまい家庭崩壊した人もいます。なり手が少ないために、この暑い季節にも70歳を超えた方がグラウンドに立ち、審判しています。
そういった実情を知らない野球関係者やメディアが、批判的な意見を出すのではないか、と感じています。処遇改善もさることながら、審判の世間的地位を上げないといけないと感じます。高校野球の現状と高野連が掲げる理想との、かなりの乖離(かいり)を感じています。高校野球だけでなく、社会全体が昔ながらボランティア精神に頼った運営等では難しい状況になっているのではないでしょうか」
スポーツマンシップの考え方では、スポーツは「チームメート」「相手選手」「ルール、競技そのもの」「審判」へのリスペクトが前提となっている。審判の軽視は、スポーツが成立する前提を脅かす。
甲子園を頂点とする高校野球は、トーナメント制により一戦必勝を宿命づけられる。何が何でも勝たないといけないという「勝利至上主義」が、己に不利な判定をした審判へのリスペクトを欠いた抗議につながる。そういう形で審判への軽視、蔑視がつのることが、審判を志望するボランティアの減少につながる。まさに悪循環だ。
あえて言うが、甲子園に出られなくても、人生が終わるわけでも、野球人生が終わるわけでもない。
それよりも大事なことは「正しいスポーツマン」になることではないのか。「スポーツの基本的なルール」を理解し、スポーツと共に人生を生きていくことではないのか。筆者はそう考える。
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「持っている」のは父親譲りなのだろうか。
PL学園時代に甲子園5回のフル出場、通算13本塁打のレジェンド・清原和博氏の次男・清原勝児選手が、父親と同じ全国高校野球選手権の決勝戦を経験した。
一方、8月22日の「ミヤネ屋」(日本テレビ系)ではデーブ・スペクター氏が、巨人・桑田真澄ファーム総監督の次男でタレントのMattが英国王室のウイリアム皇太子夫妻に謁見した様子を紹介した。
Mattが自身のインスタグラムに、ウイリアム皇太子とキャサリン妃との3ショットをアップしたのは8月中旬だ。今年6月、ウイリアム皇太子夫妻が支援するチャリティーポロマッチに、日本人で初めて招待された。ウイリアム皇太子が、海外でも放映されていたMatt出演のCMを見たのがきっかけだという。
Mattはウイリアム皇太子夫妻の前でピアノと美声を披露。ベット・ミドラーの代表曲「The Rose」、尾崎豊の「I Love You」と自身のオリジナル曲「Unconditional Love」の3曲を熱唱した。
美白メイクでブレイクしたMattだが、本業はミュージシャン。今後は音楽活動を再開させることを明らかにしている。
桑田夫人の真紀さんは「東洋経済」のインタビューで、Mattの過去について告白していた。Mattが中学に上がる際、父親が主催する野球チームに入るか声をかけられて「やらないって言ってるじゃん!」「野球やらないなら、僕はこの家を出ていかないといけないんでしょ」とパニックになって大泣きしたというのだ。
ウイリアム皇太子の前で演奏したピアノは小学生の頃に独学で覚えたものだが、Matt少年にとって、野球はピアノほど夢中になれるものではなかったようである。
真紀さんはインタビューで、こうも振り返っている。
「『僕は野球をやらない』と夫に伝えるのは、何事にも強気なMattであっても、幼い彼にとってどれほど勇気のいることだったか。当時はそこまで理解できていませんでしたが、その気持ちを考えるとちょっぴり胸が痛みます」
実は清原家も野球一筋ではない。長男の清原正吾は今でこそ慶應大学野球部に所属しているが、高校まではアメリカンフットボール選手として活躍。その実力は全国に知られていた。慶應幼稚舎に詳しい教育ライターが言う。
「創設者の福沢諭吉の教育方針で、慶應幼稚舎のお受験には運動神経の良さが求められ、実技テストもあります。有名スポーツ選手のお子さんの中でも、清原さんの長男はズバ抜けていて、試験会場の天井にまでするすると登っていったという伝説を残しています。そんな正吾君が選んだのが、アメリカンフットボールでした。父親の『あの事件』も影響したのか、アメフト界では清原さんの長男であることは伏せられていた。おかげで変なプレッシャーに潰されることもなく、のびのびとアメフトに打ち込めたようです」
KKコンビにとっては野球だったが、どんなに苦しもうと、ひとつのことに打ち込む尊さに変わりはない。父の背中を見た息子たちも、我が道を進んでいる。
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