#甲子園球場

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 阪神電鉄阪神電気鉄道)は28日、阪神甲子園球場の「銀傘拡張構想」を発表した。内野の一部座席を覆う屋根「銀傘」をアルプススタンドまで拡張し、戦前の「大銀傘」を完全復活させる。

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 同球場は、1924年8月1日に開場以来、継続的に改良を重ねながら、野球の聖地として歴史をつむぎ、100周年を迎える。近年では、2008年から安全性や快適性の向上とあわせ、「歴史と伝統の継承」をコンセプトリニューアルが施されてきた。

 そして新たに、銀傘拡張に取り組む。戦前、銀傘はアルプススタンドまであり、当時は「大銀傘」と呼ばれた。戦争による金属供出のため取り外され、その後復活を遂げてきた経緯がある。

 同社は「本構想は、グラウンドでプレーする選手と同様にアルプススタンドで熱戦を繰り広げる学校応援団の観戦環境を改善することにより、友情・連帯そしてフェアプレーの精神を旨とする高校野球の聖地として、これからも阪神甲子園球場が進化を続けることで、高校野球文化の継承を図るものです」と説明。「新たな100年に向けて『サステナビリティ』をコンセプトとして加え、将来に亘って日本中の方々に親しまれ、愛される球場、世界の人々を魅了し、訪れたくなるスタジアムを目指します」とした。

 100年前の施工者でもある大林組に設計業務を委託し、構想の具現化にむけて検討を進めているという。現時点では着工、竣工時期含め、具体的な計画は未定とし、「実施および詳細が決まれば、改めてお知らせいたします」と伝えた。

阪神甲子園球場 (C)ORICON NewS inc.


(出典 news.nicovideo.jp)


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 パ・リーグ投手にとって、交流戦での甲子園球場のマウンドは特別のようだ。

 野球解説者金村義明氏が6月5日放送の「金村義明のええかげんにせぇ~!」(MBSラジオ)で、パ・リーグの投手が甲子園球場で投げたがるワケを話を明かしていた。

 3日に行われた交流戦「阪神対ロッテ」では、ロッテ先発の種市篤暉が人生初の甲子園登板で初回に大山悠輔に先制3ランを浴びるなど、6回3失点で降板。試合は延長11回、阪神が6対5でサヨナラ勝ちを収めた。

 番組でその試合の話題になり、金村氏は、

「やっぱり甲子園でやったというのも大きい。ホームの利は大きい。種市も初回3ラン打たれたやん。フォアボールフォアボールで、ちょっと球場に飲まれた雰囲気していた」

 とコメント。進行役の井上雅雄アナは、ロッテの選手が甲子園に来る前、種市が舞い上がっていると佐々木朗希が明かしていたとし、交流戦甲子園は、ただでさえ選手のテンションが上がることを指摘。

 すると金村氏は自身が現役時代、西武に所属していたときを振り返り、こう明かしたのだ。

「西武ってすごいピッチャー多かったけど、(高校時代に)甲子園に出られなかった人のほうが多かったから、オープン戦ジャンケンで取り合いするねんから。森(繁和)ピッチングコーチが『お前らジャンケンで決めろ』言うて」

 金村氏によれば、当時の阪神は弱かったため、日本シリーズに出てくる気配すらなかった。そのためパ・リーグの投手は甲子園で投げる機会がなく、オープン戦甲子園となると全員が早めに球場入りし、マウンドで練習したがったという。

 現在は交流戦のおかげで機会は増えたが、プロにとっても甲子園のマウンドが憧れの場であることに変わりはないのだろう。

(鈴木十朗)

アサ芸プラス


(出典 news.nicovideo.jp)

金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は野球解説者、野球評論家、タレント。2017年12月からは兵庫県高砂市観光交流ビューローからの委嘱によって「高砂応援大使」を務めている。 旧名は金 義明
84キロバイト (11,867 語) - 2023年5月16日 (火) 07:45



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