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 今年のプロ野球新人王はセ・リーグが阪神・村上頌樹投手、パ・リーグオリックス山下舜平大投手が受賞したが、平成の新人王獲得投手でインパクトの強かったのは、野茂英雄(近鉄)、松坂大輔(西武)だろう。

 野茂はプロ1年目の1990年、いきなり18勝8敗の成績を残し、最多勝最優秀防御率奪三振王最高勝率などを獲得して新人王にも選出。松坂は1999年ルーキーイヤーに16勝5敗の大活躍で新人王を獲得。54年宅和本司(南海)以来、45年ぶり史上2人目の高卒新人最多勝にも輝いた。

 そんな2人の新人時代を、かつて近鉄、西武に所属した野球解説者金村義明氏が「金村義明のええかげんにせえ~!」(MBSラジオ)で振り返っていた。

 まず野茂については、

「仰木さん(当時の監督)は1回しか怒ったことないのかな。全然スローペースオープン戦も良くなくて、開幕してももうひとつだった。でも本人は自信を持っていた。『僕は暑くなったら調子が上がりますから』って。まあ、待ってられへんやん。(仰木監督が)『しゃんとせんかい!』って怒ったら、次の試合から勝ちだした」

 一方、松坂のプロ初先発となった日本ハム戦では、松坂が投じた胸元への速球にフランクリンが激昂し乱闘寸前になったものの、松坂は一切動じなかった場面を振り返りつつ、

オープン戦も阪神戦なんか、東尾さん(当時の監督)が『真っ直ぐだけでいって打たれてこい』と言って。ホンマに打たれたんよ、変化球1球も投げずに。それでも自信満々やったわ」

 と明かした。金村氏によれば、この2人は共通点があるとのことで、

「どちらもね、遠投するとボールが落ちてこなかった。身長ぐらいのライナーがスーッといってた。スピンが効いて。野茂なんかは遠投とランニングしかしなかった。ブルペンほとんど入ってないんちゃう?」

 と振り返っていた。平成を代表する2人のルーキー。どちらもすごかった。

(鈴木十朗)

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金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は野球解説者、野球評論家、タレント。2017年12月からは兵庫県高砂市観光交流ビューローからの委嘱によって「高砂応援大使」を務めている。 旧名は金 義明
84キロバイト (11,930 語) - 2023年10月20日 (金) 20:19

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 プロ野球の第一次戦力外通知期間が10月13日に終了。全12球団で99選手が通告され、最多は西武の16名、次いで中島宏之内野手をはじめとした巨人が14名、最少は日本ハムの2名だった。

 毎年、プロの厳しさが浮き彫りになる時期だが、近鉄、中日、西武でプレーした野球解説者金村義明氏は、16日放送の「金村義明のええかげんにせえ~!」(MBSラジオ)で、自身が「引退」を決めたときを振り返っていた。

プロ野球の世界には戦力外通告という、いわゆる『クビ』ね、自由契約。もう一つは自分から辞めますという任意引退の選手、この2種類しかない。僕は戦力外通告を言われるのが嫌で自分から辞めますと言いにいった」

 と金村氏。1999年の西武時代、当初は「10日間」と言われていた2軍生活が延びていく中、気持ちが切れてしまい引退を決意。球団事務所に赴いたという。予定外に事務所を訪ねた金村氏が「どうしたんだ?」と聞かれ「今シーズンユニフォーム脱ぎます」と伝えると、「おお、入って」とコーヒーを出してくれ事務員が急に走っていって花を買ってきてくれたとか。

 さらに小さなマイクでスピーチをさせてくれて「97、98年の優勝に導いてくれた金村くんが今シーズンで引退すると今日報告に来てくれました」と、待っていたかのように拍手喝采だったという。

 さらに金村氏は「ちょっと高を括ってたの。誰かほっとかへんやろ、誰か電話あるやろと。見事何もなかったもんな」と笑い、報告後に引き止めがあることを期待していたものの、何もなかったと明かした。

 引退後の身の振り方は未定だったそうだが、「入るときに手形をしっかり取っている人もいるわけ」と、最近の選手は入団時に引退後のポストを確約させておくケースが多いといい、「プロは実力の世界とはいえども、大学出たほうが全然違うんやな」と感じたそうだ。

 同じ大学ということでスカウトなどに引っ張ってくれる人も多く、大学の監督にも相談ができる利点があるといい、高卒では名球会に入るぐらいの数字を残さなければ厳しい道がまっているとか。

 第2次戦力外通知はCS全日程終了翌日から、日本シリーズ全日程終了翌日まで。携帯が鳴るたびビクビクする選手もいるのだろう。

(鈴木十朗)

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金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は野球解説者、野球評論家、タレント。2017年12月からは兵庫県高砂市観光交流ビューローからの委嘱によって「高砂応援大使」を務めている。 旧名は金 義明
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 野球解説者金村義明氏が10月9日放送の「金村義明のええかげんにせぇ」(MBSラジオ)でプロ野球選手の指導者との巡り合わせの難しさについて語る場面があった。

 番組中、阪神の北條史也内野手高山俊外野手らが戦力外通告を受けた話題を取り上げ、

「プロの世界はしょうがないんよ。本当厳しい世界。あるときはチヤホヤされるけどね。ドラフト1位であろうが、2位であろうが、6位であろうが、これはもうしょうがない。プロであれば」

 とした金村氏。すると、

思い出したらいろいろあるわな。コーチとのめぐり合いとかも大きいのよ。出会いは本当に大きい。声を大にして言いたいわ。カスみたいなやつが潰したりするのもおるねん。今までに何人辞めていったか」

 と若干怒りモードに突入。プロでも中には、選手の車を見て「お前がいいのを乗りやがって」といちゃもんをつける者もいるといい、金村氏自身、1年で寮を出たのちに借金して高級車を買ったころ「生意気や」などと言われた経験があるという。さらに、

「プロの世界でイップスになって辞めていったピッチャーも、一歩間違ったらすごい選手やったのにコーチいじめられたりさ。コーチも下に厳しく、上にゴマをするという典型的なやつが必ずおるからね」

 と語っていた。才能があっても指導者との相性が合わず、活躍しないまま消えていった選手は数多いのだろう。

(鈴木十朗)

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金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は野球解説者、野球評論家、タレント。2017年12月からは兵庫県高砂市観光交流ビューローからの委嘱によって「高砂応援大使」を務めている。 旧名は金 義明
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金村義明

近鉄バファローズ選手の金村義明氏が、元東京ヤクルトスワローズ選手の荒木大輔氏のYouTubeに出演。投手から打者に専念するきっかけとなった投手を語った。


■荒木氏と金村氏でトーク

同世代で甲子園をわかせた荒木氏と金村氏が高校時代を振り返った今回の動画。

荒木氏から「当時、関西の高校野球はどんな感じでしたか?」と質問されると「僕らより4つ、5つ上の先輩らが越境入学が始まったぐらい。江の川に行く、鳥取の倉吉北に行く。 そのときの殺し文句が兵庫県だと甲子園に出られないぞと。島根なら2回で行けると」と金村氏は語る。

そして「僕の同世代はほとんどピッチャーはプロに行ったよ。興南の竹下(浩二)、倉吉北にもいたでしょ。秋田経法大の松本(豊)。だから僕の同期はすごいピッチャーばっかりだった」と話した。


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■大府高校と対戦して…

金村氏はその後センバツ高校野球大会に出場し、大府高校と対戦した際の思い出に言及。

同氏は「超満員のOBたち、槙原(寛己)が投げたら静まり返ったんや、甲子園が。148キロマッキー旋風で、次の日、関西のスポーツ紙は1面マッキー。今のスピードガンなら158は出てると思いますね」と語る。

そして「僕は見たことがなかった、あんな速いの。プロに入っても槙原が1番速いと思う。そのときの初めてみたのが強烈だから。プロに入ったら野球ばかりしているから目が慣れるじゃん。ブルペンとか見ても槙原のほうが速いと思った」とコメントした。


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■ピッチャーを諦めた

大府高校戦について金村氏は「俺が思いっきり投げて、138キロぐらいか。140でなかってん。それで前評判の低い大府打線に1、2回で5回取られてん。槙原に負けたくない一心で、変化球を投げずに、まっすぐだけ投げたら、金属バットで槙原にまでライト線に打たれた」と振り返る。

続けて「3回から、本当にピッチャー諦めてん。俺はもうピッチャーをやめようと思って。そこから変化球ばかり投げて、ゼロに抑えて。それでたまたま槙原からバットを短く持って振ったら、ホームラン、ツーベースシングルヒットを打って」と回想した。


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■大会ナンバーワン打者に

さらに金村氏は「ピッチャーの練習ばかりして、バッティングの練習をしていないのに。それで1回戦で負けて号泣していたんだけど、甲子園大会の雑誌に『大会ナンバーワン打者』と書かれたんよ」と語る。

そして「あの槙原から3本打ったと。それで勘違いしたんだな。俺はもうバッターで行こうと」と笑っていた。


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■金村氏と荒木氏が高校時代を語る


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(文/Sirabee 編集部・佐藤 俊治

金村義明氏、野手転向の要因となった投手を告白 「投げたら甲子園が静まり…」


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金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は野球解説者、野球評論家、タレント。2017年12月からは兵庫県高砂市観光交流ビューローからの委嘱によって「高砂応援大使」を務めている。 旧名は金 義明
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