#高校野球

araki

1980年早稲田実業に入学し甲子園球場で「大ちゃんフィーバー」を巻き起こしプロで13年間、選手として活躍した荒木大輔氏が岡崎郁氏のYouTube公式チャンネルに出演。ドラフト1位指名を受けヤクルトスワローズに入団した経緯を赤裸々に語っている。

「あの時は早稲田大学に進みたい一心でした。プロでやれる自信はまったくなかったんです。僕の中では、たとえプロに行けなかったとしても好きな野球を長く続けることが理想でした」

荒木氏は、そう話して続ける。
ヤクルトと巨人から(1位で)指名して頂いたのですが、その直後の記者会見ではあたり障りのないことを言いながら『どうやって断ろうか』と考えていました」

プロ志望届制度もない時代、強行指名をされた荒木氏の心境はいかに?
その後にヤクルトの当時のオーナー、松園直己氏が自宅にまで訪れ説得されたという。その経緯が興味深い。

アスリートアカデミア岡崎郁 公式チャンネル】『【vol.5】ドラフト1位指名を受けて早大入りを断念 / 洗濯から晩酌の手伝いまで球団別の特殊な慣習に驚愕』では、荒木大輔氏のヤクルト入団経緯、さらに入団直後の知られざるエピソードも明かされている。

▼【vol.5】ドラフト1位指名を受けて早大入りを断念 / 洗濯から晩酌の手伝いまで球団別の特殊な慣習に驚愕

MN ワーク&ライフ編集部 この著者の記事一覧はこちら
(MN ワーク&ライフ編集部)

画像提供:マイナビニュース


(出典 news.nicovideo.jp)

荒木 大輔(あらき だいすけ、1964年5月6日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ、野球解説者、野球評論家、YouTuber。 妻は元女優・モデルの相田寿美緒。 甘いルックスから高校野球時代にアイドル的人気を誇り、空前の「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした。…
26キロバイト (3,049 語) - 2024年2月4日 (日) 17:15



<このニュースへのネットの反応>

【甲子園の星・荒木大輔41年目の真実─。「本当はヤクルトに入団したくなかった」】の続きを読む

saitou

 元プロ野球選手斎藤佑樹氏の「野球講義」がわかりやすいと評判になっている。

 斎藤氏は引退後、「株式会社斎藤佑樹」を設立し、代表取締役に就任。CM出演や講演で引っ張りだこになっており、全国を飛び回る生活を送っている。中でも精力的に取り組んでいるのは、朝日新聞社と朝日放送テレビが運営するウェブメディアバーチャル高校野球」での「フィールドディレクター」としての仕事だ。

 斎藤氏は「高校野球の次の100年を一緒に作りたい」として、全国の高校を巡り甲子園を目指す球児を指導。昨年12月エスコンフィールド北海道で開催された、プロ野球の現役選手やOBが高校球児を教えるイベント「夢の向こうに」では、約80人の投手を前に自身の体験を披露し「速球投手であれば直球で空振りを取るにはストライクゾーンよりもやや高めがいい」などといった、データを活用したアドバイスを送っていた。

 スポーツライターが語る。

「斎藤氏の講義や指導が選手に評判なのは、常に彼らと同じ目線に立って親身に話を聞くからです。プロ野球では当たり前のことでも、高校野球ではまだまだ浸透していないことも多い。論理的な語り口はさすが早稲田大学OBと言えるでしょうね。高校野球の指導といえばイチロー氏も精力的に活動していますが、憧れの大スターを前に、多くの選手は緊張気味。その点、斎藤氏は『ハンカチ王子』のイメージが強く親しみやすいキャラで、選手も接しやすいようです」

 プロ野球選手としては決して一流と言える活躍はできなかった斎藤氏だが、必ずしも「名選手=名指導者」ではないことは、長い野球の歴史を見ればわかるだろう。「お世話になった野球界に恩返しをしたい」と語る斎藤氏。将来は高校野球の「勝利請負人」になっているかもしれない。

(ケン高田)

アサ芸プラス


(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

【斎藤佑樹氏が「高校球児指導」で本領を発揮する「イチローより上」な部分】の続きを読む

kousi

なぜ日本では「野球部員=丸刈り」になったのか。高知大学の中村哲也准教授は「戦後大人気だった六大学野球で、野球部員の丸刈りが主流になったことが大きい。そこから野球部員は丸刈りというイメージが定着していった」という――。

※本稿は、中村哲也『体罰と日本野球』(岩波書店)の一部を再編集したものです。

■いつから野球部員は丸刈りが当たり前になったのか

丸刈り」が野球部員を象徴する髪型となるのも戦後のことであった。

江戸後期には、庶民も髷を結うことが一般的であったが、1874年に初めて日本にバリカンが輸入され、その後国産化されると、子どもの髪型は「丸刈り、一分刈りのような短い髪にバリカン刈りすることが普通」になっていった(1)。「頭髪は丸刈りとなすべし」と校則で明文化していた中学校もあったが、戦前期に校則で「髪型を指定するところは少数」だったようだ(2)

戦前期の中等学校では、男子生徒の髪型として丸刈りが一般的だったこともあって、野球部員の髪型もほとんどが丸刈りであった。

1901年の愛媛師範、1924年の高松商、春3回(1926)の個人賞受賞選手、1930年の第一神港商など、戦前期の中等学校の野球部員はほとんど全員が丸刈りか、それに近い短髪であった。野球部員の丸刈りは戦後も続き、1950年代以降も大会時に撮影された高校野球部員の頭髪を見ると、ほとんど全員が丸刈りであった。

■丸刈りは不自然と言う風潮

しかし戦後、中高生の髪型は、次第に長髪化していった。1950年代に若者のあいだで流行したのは、石原慎太郎が火付け役となった「慎太郎カット」であった。1960年代に入ると「髪一本の乱れもみせないピカピカのリーゼントオールバックスタイル」や、「自然のままに、ソフトに仕上げるアイビーカットが流行」した。

液体整髪料やドライヤーが発売され、誰もが日常的に髪型をセットすることも可能となった(3)。若者のあいだで「自然な」髪型が一般化するなかで、中学生高校生の中には丸刈りを拒否したり、丸刈りを規定した校則を嫌がったりする生徒も現れ、60年代末の高校紛争では丸刈り校則の廃止が一つの焦点となった。

学校側は、「非行防止」「規律の徹底」「勉強に集中させる」などを根拠に丸刈り校則の維持を主張したが、1960年代には高校生にとって「耐えがたいもの」となり、多くの高校で丸刈り校則が廃止されていった(4)

丸刈り校則を嫌がった中学生が他の自治体に越境入学し、アニメサザエさん」のカツオくんの髪型が「不自然」かどうか新聞の読者欄で論争も起こった(5)

戦前期にはバリカン丸刈りにすることが一般的であったが、戦後、中高生の髪型が次第に「自然な」髪型や長髪化していくなかで、中高生が丸刈りにすることを嫌がったり、丸刈りを「不自然」とする感性も広がったりしていったのである。

■なぜか戦前より丸刈りが増えている不思議

こうしたなかでも、野球部員は丸刈りであり続けたのはなぜだろうか。1934年(画像2)と1954年(画像3)の明大野球部員の髪型がわかる写真を見てみよう。

髪型に着目して2枚を比較すると、1934年の部員は全体として短髪ではあるが、ほとんどの部員が丸刈りではなかった。写真が古くて鮮明ではないため、確証がもてないところもあるが、写っている部員22名の中で明らか丸刈りの部員は2名(前列右端、後列右から四人目)しかいない。

一方、1954年の写真では、写っている部員15名全員が丸刈りになっている。

■「坊主にならないものは野球部に入れません」

当時、明大野球部の監督を務めていた島岡吉郎は、野球部員の丸刈りについて次のように語っている。

坊主頭にならないものは〔明大野球〕部に入れません。だいたい汗をかく競技なんだし坊主頭は衛生的ですよ。ポマードもクシもいらない。それだけ倹約になるから親孝行だ。髪を整える時間も助かるし合宿に鏡などそろえる必要もない。見ていてもすがすがしく学生らしい。現在六大学では東大、慶大さん以外は坊主ですよ。〔中略〕
成績が悪いときなど一部OBから敗残兵みたいだからやめさせろという投書がたくさん来る。〔中略〕明大新聞の人から選手に坊主頭を強制するなんてとんでもない。軍国主義の現れだよなんていわれましたよ。〔中略〕
選手の親御さん方からは、きちんとした生活をしていてよろしい、〔中略〕と感謝されている。坊主頭だったら悪いこともできないし、変な所へも出入りできんでしょう。〔中略〕
坊主頭でカッコ悪いと思う選手もいるでしょう。だが私にいわせれば髪をのばそうなんてよけいなことを考えることすら間違いだと思うんです。(6)

島岡は、丸刈りを倹約、時間短縮、「学生らしい」と評価する一方で、1970年代には「敗残兵みたい」「軍国主義的」といった批判的な意見があったことがわかる。丸刈りについては賛否両論があったが、前述したように、島岡は明大野球部内で絶大な権力をもっていたため、丸刈りが入部の条件となっていたのである。

■むしろ歓迎されていた

そして、100名以上もの入部希望者がひしめく明大野球部に入部し、厳しいレギュラー争いに勝ち抜こうとする部員にとっては、丸刈りにするかどうかは重要な問題ではなかったと思われる。

そのような部員にとって、髪型を理由に入部を諦めるものが存在することは、それだけレギュラーを争うライバルが減るという意味で、歓迎すべきものでもあったのではないだろうか。

さらに1950年代以降、早大・法大・立大野球部でも部員の丸刈りが採用された。

東京六大学で野球部員の丸刈りが主流になっていったことで、これらの大学野球部出身の指導者が高校・中学の野球部員にも丸刈りにすることを求めたり、野球部員=丸刈りイメージが定着・拡大し、丸刈りではない生徒は野球部の入部を認めなかったりするような慣習が拡大していったのかもしれない。

■「小さなサディズム行為」

野球部をはじめとした日本の運動部では、しごき、給水禁止、丸刈りなど、非科学的な指導や不合理な慣習が強制されるようになったのは、なぜだろうか。

アメリカ人文化人類学者デヴィッドグレーバーは、会社の上司がおしゃべり禁止などのルールを定めたり、小さな作業ミスを指摘したりする「小さなサディズム行為」は、純粋に恣意(しい)的な権力関係であることを突きつける手段であり、その行為が無意味であるからこそ「だれがボスなのかを監督者が思い知らせるための屈辱の儀式」として「この儀式が部下を部下たる地位に置く」と指摘している(7)

グレーバーの指摘は、しごきや給水禁止、丸刈りの強制といった野球部内の慣習にも当てはまる。

こうしたルールの強制は、それを通じて多すぎる部員を削減できるだけでなく、そうした権力行使を日常的に繰り返すことで部員たちに「だれがボスなのか」を理解させるものだったのである。

それ自身としては無意味な規則、合理的根拠のない指示であっても、むしろ、それが無意味であり、不合理であるからこそ、規則や指示が監督や上級生から発せられ、部員や下級生がそれを守ることを通じて、部内の上下関係が作られ、維持されていったのである。

しごきや給水禁止、丸刈りの強制などの慣習は、そのような隠れた目的をもち、その効果が実感されていったからこそ、様々な亜種を生みながら、全国に広がっていったのだと思われる。


(1) 相賀徹夫編『日本大百科全書5』1985年小学館,713頁,および「バリカン」『日本大百科事典』ジャパンナレッジ.
(2) 大津尚志『校則を考える―歴史・現状・国際比較』2021年,晃洋書房,15頁.
(3) 前田和男『男はなぜ化粧をしたがるのか』集英社2009年134-137頁.
(4) 小林哲夫『高校紛争1969-1970「闘争」の歴史と証言』中央公論新社2012年,97-98 頁.
(5) 「丸刈りに断固抵抗 都下・大和二中の7生徒」『朝日新聞1968年5月9日付朝刊.小須田実「カツオくん,なぜ長髪にしないの」『朝日新聞1970年1月6日付朝刊,および「特集カツオ君の坊主頭」同紙1970年1月18日付朝刊.
(6) 島岡吉郎「ゆっくり話そう 坊主礼賛論」『朝日新聞1970年3月1日付朝刊.
(7)グレーバー,D.,酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店2020年.,164-165頁.

----------

中村 哲也(なかむら・てつや)
高知大学 地域協働学部准教授
1978 年大阪府生まれ。 京都府立大学文学部卒業、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。早稲田大学スポーツ科学学術院助手を経て、現在。専門は日本スポーツ史。著書に『学生野球憲章とはなにか 自治から見る日本野球史』(青弓社、2010 年)、共訳書にアーロンL. ミラー日本の体罰 学校とスポーツの人類学』(共和国、2021 年)。

----------

愛媛県師範学校野球部の部員たち(1901年)


(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

【なぜ「野球部員=丸刈り」になったのか…無意味で不合理なことが高校野球のシンボルになったワケ】の続きを読む

minoshima


【ロッテ吉井監督も心痛める 公立校唯一の春夏連覇の箕島野球部員はわずか12人】の続きを読む

yamamoto

野球に限ったことではありませんが、一流選手でも成績が伸び悩む時があります。

これまでのように打席に立ってもヒットが出ない。昨年まで間違いなくヒットだった強烈な当たりが好守に阻まれる。投手であれば、同じような球を投げてもヒットにされる。最初は運が悪いだけと思っていたのに、不調が続いて成績が停滞したり悪くなることも。これを一般的に「スランプ」と呼びますが、今回はスランプについてお話します。

私もキャスターとして、週5日の『ワースポ×MLB』(NHK BS1)の生放送を5年間やっていた中で、何度か「これはスランプかも」と思うことがありました。

VTRも見ながら共演者の方の話を聞いて、それを頭の中で処理して自分も話す。ただ、頑張ってもうまくつながらない時があり、どこかがダメだとどんどん崩れていきます。スランプって悪循環。

きっかけはささいなことでも、精神的に追いつかなくなって不安になり、それが萎縮につながります。次の放送で「前回の失敗を引きずらないように」と思うと、逆に失敗が重なることも。スランプに陥った理由は、具体的に「これ」というものがあるわけではありませんが、寝不足や体調不良が重なったのかな、と今では思います。

野球選手に話を戻しますが、一流選手ほど、少しでも打てない時期が続くと「スランプか!?」と報じられ、注目の的になってしまいます。新人選手が打てない時期が続いても、誰も「スランプ」とは思いませんから、結果を期待される一流選手のみが言われる、名誉ある(?)称号なのかもしれません。

一方の選手からすれば、スランプが長く続けばオフで年俸が下がり、最悪の場合は解雇されてしまう可能性もあるわけで、1日でも早く不調から脱したいと思っているはずです。

選手のスランプの原因は一概には言えないようですが、主に精神状態に起因するものが多いそうです。技術に起因するものもあり、例えばレッドソックス吉田正尚選手は、高めのストレートに対して凡打が続いた際、アシスタントコーチが分析すると打撃の際の姿勢に問題があるとわかりました。それを改善したところ、快音が戻ったようです。おそらくこのコーチの助言は、吉田選手の精神的重荷も取り去ったのでしょう。

今年も残りわずか。来年も健やかな1年になりますように。
今年も残りわずか。来年も健やかな1年になりますように。

スランプを脱出する方法のひとつに、メンタルトレーニングが挙げられます。カブス鈴木誠也選手は、2023年シーズンの後半はメンタル面の強化することで成績が上向いたようですね。

アメリカでは、「メンタルコーチがいないチームはない」と言われるほど、メンタル面の管理をするスタッフの重要さが認識されています。日本でもその文化が輸入され、今では高校の野球部でもメンタルトレーナーがいるチームがたくさんあります。

107年ぶりに夏の甲子園を制した慶應高校の野球部にもメンタルコーチがいて、「ピンチの時にどうしたらいいか」という対処法を選手たちに教えたとか。若き高校生たちの練習への取り組み方、試合中の動揺しそうな場面で己に打ち勝つヒントをくれる。それはどれだけ選手たちの勇気になったことでしょう。

ちなみに慶應高校のメンタルコーチは、野球経験がないそうです。プロのコーチというと、選手としてもプロで成功した人がほとんどですが、第三者による客観的な分析は逆に的確な場合も多いのかもしれません。

メンタルコーチの役割のひとつはメンタル面を安定させることですが、選手の成長を促すことも求められます。高い目標を掲げて、それを達成するためにどんなことをすればいいのかを逆算し、ひとつずつクリアしていく。簡単な目標から達成していくことが、自己肯定感につながります。

今回、この原稿を書いていて、私が流されるままに生きてきたことをあらためて痛感しました。人生において「こうなりたい」という具体的な目標がなかったんです。でも、『ワースポ×MLB』で「アメリカに取材に行きたい」という目標ができ、それを叶えた時には幸せを感じました。

だから、すぐに高みを目指すわけではなく、まずは毎日できることをしっかりやろうと思っています。スランプになった時には、まず自分の生活を見直すこと。今は、毎日おいしい食事を食べることが元気につながっています。

うちの旦那さんがコンビの解散を発表した当時、私もとても心身共に落ち込んでいました。でも、「こんな時に体調を崩すわけにはいかない」と、旦那さんが野菜がたくさん入ったおいしいスープを作ってくれたんです。それが本当にやさしい味で、おいしい食事は人に元気を与えてくれるんだなと思いました。

もし大切な人スランプになったり落ち込んだりしている時は、おいしい食事を作ってあげたいと思います。

みなさんのスランプの乗り越え方も教えてくださいね。それではまた来週。

★山本萩子(やまもと・しゅうこ)
1996年10月2日生まれ、神奈川県出身。フリーキャスター野球好き一家に育ち、気がつけば野球フリークに。
2019年から5年間、『ワースポ×MLB』(NHK BS1)のキャスターを務めた。愛猫の名前はバレンティン

構成/キンマサタカ 撮影/栗山秀作

【写真】山本キャスターの最新フォトギャラリー

「スランプ」について語った山本キャスター


(出典 news.nicovideo.jp)

山本 萩子(やまもと しゅうこ、1996年10月2日 - )は、日本のキャスター・タレント。所属事務所はセント・フォース。夫はお笑いコンビ「和牛」の水田信二。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜平沼高等学校から日本女子大学人間社会学部に進学し、卒業した後にさらに同大学家政学部を卒業した。…
8キロバイト (780 語) - 2023年11月20日 (月) 05:33



<このニュースへのネットの反応>

【今や高校野球にもメンタルコーチが。】の続きを読む

このページのトップヘ